ベルリンの壁
ドイツの首都であり、ドイツ最大の都市であるベルリン。
つい25年前まで、ベルリンという街は壁によって分断されていました。
ベルリンの壁の歴史
1990年まで続いた冷戦時代、資本主義の西ドイツと、ソ連社会主義の東ドイツの経済格差は徐々に大きくなっていきました。
東ドイツの経済が悪化していくのに対して、西ドイツと西ベルリンの経済は成長を続け、市民の生活も格段に豊かになりました。
当初、東西ベルリンの行き来は自由だったので、自由で良い暮らしを求めて、東ベルリンから西ベルリンへ亡命する人は増える一方でした。
国家存続の危機を感じた東ドイツは、東の人々が西に逃げられないように壁を作ろうと考えて実行します。
1961年8月13日、東西ベルリンの境界線が封鎖され、西ベルリンをぐるりと取り囲む壁が一夜にして作られました。
ある日突然出現した壁によって、家族や友人と二度と会えなくなってしまった人たちがたくさんいたのです。
ベルリンの壁崩壊
ベルリンの壁崩壊とは、ベルリンの壁が1989年11月10日に東西ベルリン市民によって破壊開始された事件です。
東欧革命を象徴する事件として世界中で知られている出来事です。
ベルリンの壁崩壊後、そのほとんどは撤去されたものの、一部記念碑として残されているところもあります。
「イーストサイドギャラリー」や「壁博物館」などがあります。
イーストサイドギャラリーとお土産
東駅(Ostbahnhof)を出てシュプレー川沿いにオーバーバウム橋(Oberbaumbrücke)まで続く全長1.3kmの壁に、絵が描かれた「イーストサイドギャラリー」があります。
損傷が進んでいたため、壁崩壊20周年を機に描き直されました。
21か国118人のアーティストたちのメッセージが込められた絵は見応えたっぷりで、露天にてお土産物の様々なベルリンの壁グッズを購入することができます。
ホーネッカーとブレジネフの熱いキス
これは、ベルリンの壁で最も有名な壁画です。
「ホーネッカーとブレジネフの熱いキス」と呼ばれる作品で、東ドイツの歴史を象徴する作品でもあります。
東ドイツの国家評議会議長であったエーリッヒ・ホーネッカと、ソ連最高指導者レオニード・ブレジネフの熱いキスは、男性同士のキスが文化として存在したソ連においてアーティストのドミートリー・ヴルベルによって撮影されたものです。
photo by デュッセルドッグ.com
現在、残念なことに、ベルリンの壁は多くの落書きで埋め尽くされています。
特に柵などもなく、誰でもいつでも立ち入ることができるため、多くの人がアートの上から文字を書き連ねているのです。
それは、少し残念な光景でした。
ドイツ最大の都市であるベルリン。
統一からわずか24年しか経っていませんが、目覚ましい発展を遂げ、世界有数の観光都市となっています。
その歴史に思いを馳せながら、是非街歩きをしてみてはいかがでしょうか。