日本の世界遺産特集(7)「百舌鳥・古市古墳群(大阪府) 」

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「百舌鳥・古市古墳群」について

「百舌鳥・古市古墳群」は、大阪府堺市・羽曳野市・藤井寺市にあり、百舌鳥古墳群および古市古墳群に含まれる45件49基の古墳群の総称のことです。読み方は、「もず・ふるいちこふんぐん」です。

この「百舌鳥・古市古墳群」は、4世紀から5世紀の後半の古墳時代が最盛期を迎えていた頃には政治や文化の中心地の一つで、航路の出発点だった大阪湾に近い平野の上に造られました

独特の形を有する前方後円墳や墳墓、さまざまな大きさや形状の古墳によって構成され、墳丘は当時の葬送儀礼の場であり、幾何学に設計され、外観は埴輪などで装飾されています。

この「百舌鳥・古市古墳群」は、土製の建造物のなかでも技術的な到達点を示しており、かつては墳墓の大きさなどによって権力が象徴されたという日本の歴史を物語っています。

記載物件名 百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群-
具体的な物件 反正天皇陵古墳、仁徳天皇陵古墳、茶山古墳、大安寺山古墳、永山古墳、 源右衛門山古墳、塚廻古墳、収塚古墳、孫太夫山古墳、竜佐山古墳、銅亀山古墳、菰山塚古墳、丸保山古墳、 長塚古墳、旗塚古墳、銭塚古墳、履中天皇陵古墳、寺山南山古墳、七観音古墳、いたすけ古墳、 善右ヱ門山古墳、御廟山古墳、ニサンザイ古墳、 津堂城山古墳、仲哀天皇陵古墳、鉢塚古墳、允恭天皇陵古墳、仲姫命陵古墳、 鍋塚古墳、助太山古墳、中山塚古墳、八島塚古墳、 古室山古墳、大鳥塚古墳、応神天皇陵古墳、 誉田丸山古墳、二ツ塚古墳、東馬塚古墳、栗塚古墳、東山古墳、 はざみ山古墳、墓山古墳、野中古墳、向墓山古墳、西馬塚古墳、 浄元寺山古墳、青山古墳、峯ヶ塚古墳、白鳥陵古墳
所在地 大阪府堺市、羽曳野市、藤井寺市
推薦年月 平成30年1月
記載年月 令和元年7月
区分 文化遺産
出典:https://bunka.nii.ac.jp/special_content/hlinkJ

「百舌鳥・古市古墳群(大阪府)」の特徴・おすすめスポット その1:反正天皇陵古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「反正天皇陵古墳」(はんぜいてんのうりょうこふん)は、「田出井川山古墳」とも呼ばれる「百舌鳥古墳群」の北端にある前方後円墳で、「百舌鳥耳原三陵」(もずのみみはらさんりょう)の一つです。

天皇陵のなかでは小さい方で、5世紀の中頃に築造され、陪塚の古墳2基と二重濠が確認されています。

この「百舌鳥・古市古墳群」は、全長は約148メートル、後円部径が役76メートル、高さ約13メートル、、前方部の幅約110メートル、高さ約15メートルの規模で、人得点王料古墳のおよそ三分の一です。

キーワードチェック:百舌鳥耳原三陵
百舌鳥耳原三陵とは、北側にある反正天皇陵古墳(田出井山古墳)と南側の履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)の総称のことです。
キーワードチェック:陪塚(ばいちょう)
「陪塚」とは、大型の古墳と郡をなす小型の古墳で、大型古墳の築造と同時期に計画的に築造されたものとみなされるもののことで、日本の古墳時代に築造された古墳の様式です。
キーワードチェック:二重濠
「二重濠」とは、5世紀初頭前後より大型の前方後円墳に多く用いられ、古墳の周りの堀が外側の堤防をはさんで内と外の二重にめぐらされていることです。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その2:仁徳天皇陵古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「仁徳天皇陵古墳」(にんとくてんのうりょうこふん)は、5世紀の中頃に築造された日本最大の前方後円墳で、前方部墳丘は、3段に築造され、三重の濠と10基以上の陪塚があります

墳丘の規模は、全長約486メートル、後円部径は約249メートル、高さ約34.8メートル、前方部の幅約307メートル、高さ約33.9メートルで、約20年の月日をかけて築造されたものと推定されています。

この「仁徳天皇陵古墳」は、クフ王のピラミッド、始皇の帝陵と並び、「世界3大墳墓」と言われており、「百舌鳥耳原三陵」(もずのみみはらさんりょう)の一つでもあり、女子頭部などの人物や水鳥、馬、鹿、家などの埴輪が出土しています。

1872年に、「仁徳天皇陵古墳」の前方部にある「竪穴式石室」に収められた「長持形石棺」から、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿が出土して再び埋め戻されたそうですが、詳細な絵図の記録によると甲冑は金銅製で立派だったようです。

また、昭和30年代と最近の調査により、「仁徳天皇陵古墳」の造出しからは、須恵器の甕が出土しており、日本書紀などで伝えられる仁徳天皇・履中天皇の在位順とは逆で、履中天皇陵古墳よりも後に築造されたことが判明しました。

キーワードチェック:造出し(つくりだし)
造出しとは、古墳に直接取り付けられている半円形または方形の壇状の施設で、ごく一部の古墳に確認されています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その3:茶山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「茶山古墳」(ちゃやまこふん)は、大阪府堺市堺区大仙町にある円墳で、「仁徳天皇陵古墳」の後円部の外側にある2基の古墳の西側に位置しています。

墳丘の規模は、径約56メートル、高さ9.3メートルで、濠に挟まれた堤の上に付属墳として墳丘が造られている例は、このほかに「大安地山古墳」にのみ認められています。

ちなみに、「茶山古墳」の名称は、「豊臣秀吉」が「仁徳天皇陵古墳」で狩りをした際、隆の上に狩りの居宅を構えた跡地のことを「茶屋山」と呼んでいたことが「堺鑑」に掲載されていることに由来しています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その4:大安寺山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「大安寺山古墳」(だいあんじやまこふん)は、堺市堺区大仙町にあり、「仁徳天皇陵古墳」の後円部外側の第2堤上の三重濠に張り出している2基の古墳のうち、東側にある円墳で、日本最大級の大きさです。

墳丘の規模は、径約62メートル、高さ9.7メートルで、この「大安寺山古墳」の名称は、かつては「大安寺」の所有地であったことに由来しており、「寺山古墳」とも呼ばれていたようです。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その5:永山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「永山古墳」は、「仁徳天皇陵古墳」の北西約50メートルにあり、前方部が南に向いている2段の前方後円墳で、5世紀に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、全長約100メートル、後円部の径約63メートル、高さ約10.3メートル、前方部の幅が約68.5メートル、高さ約10.3メートルで、周囲には縦型の周濠がめぐらされています。

形状と規模から塚とは考えにくいものの、調査されていないため、詳細はわかっていません。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その6: 源右衛門山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「 源右衛門山古墳」(げんえもんやまこふん)は、大仙陵古墳公園の北東に位置している「仁徳天皇陵古墳」の陪塚に指定されている円墳で、5世紀の中頃に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、直径約34メートル、高さ約5.4メートルで、幅約5メートル、深さ約1.8メートルの周濠があったことが確認されています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その7:塚廻古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「塚廻古墳」(つかまわりこふん)は、堺市堺区百舌鳥夕雲町1丁にある円墳で、5世紀中頃に築城され、「仁徳天皇陵古墳」の陪塚であると考えられています。

墳丘の規模は、径約32メートル、高さ約5.1メートルで、墳丘の裾には埴輪列があります。

1912年の発掘調査では、木棺からは変形四獣鏡・変形五獣鏡の2面の銅鏡や刀剣、硬玉・碧玉・ガラス玉や滑石で造られた勾玉・管玉・臼玉などの玉類が多く出土しています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その8:収塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「収塚古墳」(おさめづかこふん)は、「仁徳天皇陵古墳」の前方部東南隅に位置し、同古墳の陪塚の一つであると考えられている前方後円墳で、5世紀に築造されたものと考えられています。

この「収塚古墳」は、周濠が埋まって前方部が削られているため、円墳に見えますが、もともとは前方後円墳で、東側の道路には周濠があったことが確認できます

墳丘の規模は、現在「収塚古墳」の残っている後円部は、径約42メートル、高さ約4.2メートルで、古墳の頂部から短甲片が出土しています。

キーワードチェック:短甲
短甲とは、古代の日本で使用されていた枠に板を革紐で綴じたり鋲で留めて作られている甲(兜)の形式名で、古墳の副葬品として出土しており、埴輪や石人などにも着装しています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その9:孫太夫山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「孫太夫山古墳」(まごだゆうやまこふん)は、「仁徳天皇陵古墳」の南に接し、西向きにある前方後円墳で、同古墳の陪塚で5世紀前半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、全長が約56メートル、後円部の径が約48メートル、後円部の高さ約7.6メートル、前方部の幅約30メートルです。

一部の調査によると、葺石と円筒埴輪があり、幅約10メートル程度の周濠がめぐらされていたと推測されていますが、詳細は不明です。

なお、現在、この「孫太夫山古墳」の濠は、復元・整備されています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その10:竜佐山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「竜佐山古墳」(たつさやまこふん)は、「仁徳天皇陵古墳」の南に接し、西向きの前方後円墳で、同古墳の陪塚と考えられています。

墳丘の規模は、全長は約61メートル、後円部の径は約43メートル、前方部の幅約26メートルです。

この「竜佐山古墳」は」、「孫太夫山古墳」と同様に、一部の調査によると幅約10メートルほどの周濠がめぐらされていたと推測されていますが、詳細は不明です。

なお、現在は前方部とそのまわりの濠が復元・整備されています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その11:銅亀山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「銅亀山古墳」(どうがめやまこふん)は、「仁徳天皇陵古墳」の西南にあり、かつては「堂亀山」とも呼ばれていた2段の方墳で、5世紀中頃に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、高さ約5.4メートルで墳丘が高く、2段の築成などの残存度も良好で、下段は南側が造出しのように張り出して長方形を呈しています

なお、この「銅亀山古墳」に周濠があったかどうかは、わかっていません。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その12:菰山塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「菰山塚古墳」(こもやまづかこふん)は、前方部が南を向いており、墳丘は全長が約33メートル、高さ約4メートルの小規模な前方後円墳でした。

現在は、この「菰山塚古墳」は、円墳状の墳丘が住宅に囲まれて残っているだけで、旧状をとどめていません。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その13:丸保山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「丸保山古墳」(まるほやまこふん)は、前方部を南に向けて「仁徳天皇陵古墳」の後円部西側に近接する前方後円墳で、5世紀後半頃に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、全長約87メートル、後円部の径約60メートル、同高約9.8メートル、前方部の幅約40メートル、同高約2.7メートルです。

墳丘の周囲には、幅の短い一重の濠がめぐらされ、埋葬部の構造や副葬品の内容などについての詳細はわかりませんが、円筒埴輪片が出土しています

この「丸保山古墳」は、南西側に「菰山塚古墳」(こもやまづかこふん)があり、これらとともに「仁徳天皇陵古墳」の陪塚であると考えられています。

なお、「丸保山古墳」の前方部は、1955年の開墾によって削られています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その14: 長塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「長塚古墳」(ながつかこふん)は、岐阜県可児市にある前方後円墳で、5世紀前半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、全長約106.4メートル、後円部の径約59.4メートル、高さ約8.2メートル、前方部の幅約75.2メートル、高さ約8.3メートルで、2段に築成されています。

この「長塚古墳」は、「仁徳天皇陵古墳」の南南東約150メートルほどのところに位置し、JR阪和線「百舌鳥駅」のすぐ南西にあります。

西向きの南側にあるくびれ部には造出しがあり、周濠は埋没して、現在は、墳丘裾まで家並みに囲まれています

なお、「長塚古墳」では、円筒埴輪が採集されていますが、主体部の構造や副葬品はわかっていません。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その15:旗塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「旗塚古墳」(はたづかこふん)は、百舌鳥夕雲町の大仙公園内にあり、前方部が西に向けた盾形の豪がめぐらされ、短い2段に築城された前方後円墳です。

墳丘の規模は、全長約57.9メートル、後円部の径約41.5メートル、高さ約3.8メートル、前方部の幅約24.7メートルです。

この「旗塚古墳」は、葺石と埴輪があり、円筒埴輪や朝顔形埴輪のほか、盾や蓋(きぬがさ)などの形象埴輪も出土しています

なお、「旗塚古墳」は、主体部の構造や副葬品の内容・性格などの詳細についてはわかっていません。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その16:銭塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「銭塚古墳」(ぜにづかこふん)は、「府立堺支援学校」の敷地内にあり、前方部を西に向けて「グワショウ坊古墳」の南に約100メートルのところにある前方後円墳です。

墳丘の規模は、全長約72メートル、後円部の径約54メートル、前方部の幅約44メートルで、前方部が削られているため、現在は円墳のような形をしています。

この「銭塚古墳」は、周濠がめぐらされていたことが確認されており、濠から円筒埴輪などが出土しています

なお、残念ながら、この「銭塚古墳」については学校の敷地内にあるため、見学できません。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その17:履中天皇陵古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「履中天皇陵古墳」(りちゅうてんのうりょうこふん)は、石津ヶ丘にあり、前方部を南に向けている前方後円墳で、「仁徳天皇陵古墳」以前の5世紀前半頃に築造されたものと考えられています。

「履中天皇陵古墳」は、「ミサンザイ古墳」とも呼ばれ、日本では3番目に大きい前方後円墳です。

墳丘の規模は、全長約365メートル、後円部の径205メートル、高さ約27.6メートル、前方部幅約235メートル、高さ約25.3メートルです。

この「履中天皇陵古墳」は、10基ほどの陪塚を従え、墳丘は3段で西側のくびれた部分には造出しがあり、1重の盾形の周濠と堤がめぐらされていますが、1994年に外側に幅約10メートルの2重目の周濠が発見されています。

なお、葺石と埴輪が確認されていますが、主体部の構造や副葬品などの詳細はわかっていません。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その18:寺山南山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「寺山南山古墳」(てらやまみなみやまこふん)は、「履中天皇陵古墳」(ミサンザイ古墳)の外濠に接した平面が長方形の方墳で、5世紀初め頃に築城されたものと考えられています。

墳丘の規模は、長辺が約44.7メートル、短辺約39.2メートル、高さ約4.7メートルです。

この「寺山南山古墳」は、墳丘が2段で墳丘テラスには埴輪列が残っており、南東側に設けられた造出し近くから家形や囲形(かこいがた)の埴輪や須恵器が出土しています

また、かつては、「寺山南山古墳」の墳丘の周りには濠がめぐらされ、その一部が「履中天皇陵古墳」の外濠と重なることから、同古墳の陪塚であると考えられています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その19:七観音古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「七観音古墳」(しちかんやまこふん)は、「履中天皇陵古墳」の北側にある「大仙公園」の南入口にある円墳です。

墳丘の規模は、直径約25メートル、高さ約3メートルです。

この「七観音古墳」では、碧玉製の琴柱(ことじぼう)形石製品が出土したといわれており、大量に鉄器や武器が発見された「七観山古墳」と名前が似ているため、よく間違えられるようです

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その20:いたすけ古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「いたすけ古墳」は、前方部を西に向け、「百舌鳥古墳群」のほぼ中央にある3段の前方後円墳で、周りには陪塚が数基あり、5世紀前半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、全長約146メートル、後円部の径約90メートル、高さ約12.2メートル、前方部幅約99メートル、高さ約11.4メートルです。

この「いたすけ古墳」は、南部のくびれ部に造出しがあり、台地の南端に位置しているため、濠の南側に大規模な堤が築かれています。

1955年頃、住宅造成のため、「いたすけ古墳」は破壊されそうになりましたが、市民運動によって保存されました

なお、「いたすけ古墳」には、葺石と埴輪があり、後円部から出土した冑の埴輪は、大阪府堺市の文化財保護のシンボルマークになっています

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その21: 善右ヱ門山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「善右ヱ門山古墳」(ぜんえもんやまこふん)は、百舌鳥川北岸に位置し、「いたすけ古墳」の濠に接して造られた方墳で、5世紀前半に同古墳に付随して築城されたものと考えられています。

墳丘の規模は、一辺は約28メートル、高さ約3メートルです。

なお、「善右ヱ門山古墳」の墳丘は2段で、テラス上に埴輪列が確認されていますが、その周囲に特に明確な周濠は設けられていません。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その22:御廟山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「御廟山古墳」(ごびょうやまこふん)は、百舌鳥本町にあり、前方部を西に向けた3段の前方後円墳で、5世紀前半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、長さ約203メートル、後円部の径約113メートル、前方部の最大幅約136メートルです。

この「御廟山古墳」は、南側のくびれ部には造出しがあり、周囲には盾形の濠と堤がめぐらされ、最近の調査で二重の濠があることが判明しました

なお、「御廟山古墳」には、葺石と埴輪がありますが、主体部の構造や副葬品などの詳細についてはわかっていません。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その23:ニサンザイ古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「ニサンザイ古墳」は、「百舌鳥古墳群」の南東端にあり、前方部を西に向けた大型の前方後円墳で、5世紀後半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、全長約300メートル、後円部の径約170メートル、高さ約24.6メートル、前方部の幅約224メートル、高さ約25.9メートルです。

この「ニサンザイ古墳」は、「反正天皇陵古墳」(田出井山古墳)の約4倍の大きさで、前方部が広くどっしりと安定感のあることが特徴で、古墳群の中で最も精美であるといわれています

建造が同古墳と同時期であることから、「ニサンザイ古墳」を「反正天皇陵」とする説もあります。

なお、この「ニサンザイ古墳」の「ニサンザイ」は、「陵(みささぎ)」に由来するものであると考えられています。

墳丘は3段で、くびれ部の両側に造出しがあり、現在は盾形の周濠が一重にめぐらっされていますが、1976年の発掘調査で外濠があることが判明しました

なお、「ニサンザイ」古墳は、葺石(ふきいし)と埴輪のあることが確認されていますが、主体部の構造や副葬品の詳細については、わかっていません。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その24: 津堂城山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「津堂城山古墳」(つどうしろやまこふん)は、「古市古墳群」では最も古い大型の前方後円墳で、4世紀後半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、全長約400メートル、約210メートル、高さ約16.9メートルで、二重の濠と堤があります。

墳丘には造出しがあり、二重の周濠、石葺の外側堤があると確認され、周濠内の前方部の左右近くにある「島状遺構」(方墳形の祭壇)から3体の水鳥形埴輪が出土し、国の重要文化財に指定されています。

このほか、この「津堂城山古墳」は、衝立型や家形・盾形・衣蓋形、靫型の埴輪、円筒型などの形象埴輪が多く発見されていることから、第19代「允恭天皇」が被葬者であると推定されています。

なお、「津堂城山古墳」は、1958年に国の史跡に指定、2001年に「古市古墳群」全体として史跡に指定されています。

この「津堂城山古墳」の周辺は、季節ごとに花が咲き、市民の憩いの場となっています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その25:仲哀天皇陵古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「仲哀天皇陵古墳」(ふりがな)は、前方部を南南西方に向け、「岡ミサンザイ古墳」とも呼ばれる大阪府藤井寺市にある前方後円墳で、5世紀末頃に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、全長約245メートル、後円部の高さ約20メートルです。

もともと、3段だった墳丘は、修陵の際に5段に改変され、墳丘の表面では埴輪片が検出されていますが、葺石は認められていません

墳丘のくびれ部の東側には造出しがあり、周囲には幅広の周濠がめぐらされ、その外側に埴輪列のある周堤がめぐらされています。

この「仲哀天皇陵古墳」周辺の後円部の北側に陪塚と見られる「鉢塚古墳」(はちづかこふん)があり、主体部の埋葬施設や副葬品は不明ですが、墳丘の形状から「横穴式石室」の可能性が指摘されています。

なお、「仲哀天皇陵古墳」は、宮内庁により、第14代「仲哀天皇」(ちゅうあいてんのう)の陵とされていますが、仲哀天皇の想定年代と築造年代が合わないことから、現在は第21代「雄略天皇」(ゆうりゃくてんのう)や同天皇と同一視される「倭王武」(ワカタケル大王)の陵とする説が有力視されています

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その26:鉢塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「針塚古墳」(ふりがな)は、長野県松本市にある円墳で、「仲哀天皇陵古墳」の陪塚で、5世紀後半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、直径が約20メートルで、副葬品として文鏡や鉄斧(てっぷ)、鉄鏃(てつぞく)のほか、小刀やガラス玉、鉸具(かこ)などが出土しています。

キーワードチェック:鉸具
鉸具とは、帯・甲冑などに用いる革帯などの端に取り付けられた留め金具または馬具で馬に乗る際に足をかける鐙(あぶみ)の頭頂部にある金具のことをいいます。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その27:允恭天皇陵古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「允恭天皇陵古墳」(いんぎょうてんのう)は、古市エリアの北東部にある台地のはり出した部分に位置する前方後円墳で、5世紀後半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、長さ約230メートル、前方部の高さ23.3メートルです。

この「允恭天皇陵古墳」は、築造時には二重の周濠をもつ古墳で、濠からは円筒埴輪、形象埴輪が出土しています

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その28:仲姫命陵古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「仲姫命陵古墳」(なかつひめのみことりょうこふん)は、大型の前方後円墳で「仲津山古墳」とも呼ばれ、4世紀末~5世紀前半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、長さ約290メートル、前方部の幅約193メートル、後円部の径約170メートルで、古市古墳群のなかでは「応神天皇陵古墳」に次ぐ大きさで、近くにある「鍋塚古墳」は、この古墳の陪塚であると考えられています。

この「仲姫命陵古墳」の墳丘は三段で、円筒埴輪と葺石が発見されており、くびれ部分の両側には造出しがあります。

ちなみに、「仲姫命」(なかつひめのみこと)は、第15代応神天皇の皇后ですが、この古墳の形態などから4世紀後半頃とも推測されることから、仲姫命の陵墓ではなく、ヤマト王権の大王の墓であるとの説もあります

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その29:鍋塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「鍋塚古墳」(なべづかこふん)は、「仲姫命陵古墳」の後円部に近接する円墳で、葛城市北部で古墳が作り始められるきっかけとなった古墳で、4世紀前半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、一辺約50メートル、高さ約7メートルで、内部構造は明らかではありませんが、葺石と埴輪列が確認され、濠があった可能性があります

この「鍋塚古墳」は、円筒埴輪のほかに、家や盾、靫や蓋(きぬがさ)などの形をした形象埴輪が用いられ、円筒埴輪は「仲姫命陵古墳」と類似する黒斑を有する埴輪が出土しています。

なお、「鍋塚古墳」は、1956年に国の史跡に指定、2001年に史跡の追加・統合指定が行われ、この古墳を含む14基の古墳が「古市古墳群」の名称で国の史跡に指定されました。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その30:助太山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「助太山古墳」(すけたやまこふん)は、「仲津山古墳」の南側にあり、東西に方形をした3基の古墳が並ぶ「三ツ塚古墳」の一つで、5世紀前半に築造された説と7世紀に築造された説があります。

ちなみに、東から順に、「八島塚古墳」「中山塚古墳」「助太山古墳」と呼ばれており、この「助太山古墳」だけが国の史跡に指定されています。

墳丘の規模は、一辺約36メートルの同形同大の方墳です。

この「助太山古墳」は、ほかの2つの古墳と濠を共有し、方形の墳丘の南の辺が一直線に揃えられていることから、ほぼ同時期に造られたものと考えられています。

「助太山古墳」の墳頂部にある巨大な石の一部は、「横口式石槨」(よこぐちしきせっかく)という埋葬施設の天井石である可能性が指摘されています。

しかし、円筒埴輪や葺石が見つかっていないという特徴から、築造時期は、「古市古墳群」の中で最も遅く、古墳時代の終末期であると推定されています

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その31:中山塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「中山塚古墳」(なかやまづかこふん)は、「助太山古墳」「八島塚古墳」(やしまづかこふん)と並ぶ方墳で、5世紀前半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、長さ約50メートル、高さ約8.5メートルです。

この「中山塚古墳」の濠からは円筒埴輪が出土し、1978年には「中山塚古墳」と「八島塚古墳」の間にある濠から木製の大小2基のそり「修羅」(しゅら)が出土しています。

この「修羅」は、古墳を造る際に石棺などを運ぶために用いたと推定され、現在、大きな修羅は「大阪府立近つ飛鳥博物館」、小さな修羅は「藤井寺市立図書館」に展示されています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その32:八島塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「八島塚古墳」(やしまづかこふん)は、「助太山古墳」「中山塚古墳」と並ぶ方墳で、5世紀前半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、長さ約50メートル、高さは約8メートルです。

濠を含めた3つの古墳の総規模は、東西に約195メートル、南北80メートルで、この濠からは円筒埴輪が出土しています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その33:古室山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「古室山古墳」(こむろやまこふん)は、古市古墳群の中で最古の中型規模の前方後円墳で、4世紀末から5世紀初頭に築造されたものと考えられています。

この「古室山古墳」は、周囲に樹木がほとんどない国府台地の高台にあるため、頂上まで登ることができ、眺望もよく、季節によって梅や桜、紅葉などが楽しめます。

墳丘の規模は、全長約150メートル、後円部の高さ約39メートルです。

墳丘は、三段で葺石があり、周濠と堤がめぐらされ、平坦面では、円筒埴輪列や家・衣蓋(きぬがさ)・盾・靫(うつぼ)・冑形(かぶとがた)などの形象埴輪が確認されています。

また、後円部の頂上には板状の石材が見受けられることから、埋葬施設は竪穴式石槨(たてあなしきせっかく)である可能性も推測されていますが、詳細はわかっていません。

なお、この「古室山古墳」と同時代に築造されたとされる「津堂城山古墳」は、同時期のなかでは最大規模で、「古室山古墳」は、ひとまわり小さい大きさです。

このような規模の差は、当時の権力者間の力関係が表われていると言われています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その34:大鳥塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「大鳥塚古墳」(おおとりづかこふん)は、前方部は南を向き、「大鳥塚古墳」の北側、「仲姫命陵古墳」と「応神天皇陵古墳」の間に位置する前方後円墳で、5世紀前半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、長さ約110メートル、後円部の高さ約12.メートルです。

この「大鳥塚古墳」は、墳丘が後円部の高さが高く、墳丘の周囲に幅の狭い濠がめぐらされていることが特徴で、円筒埴輪、形象埴輪が出土しています。

「大鳥塚古墳」が造られた当時は、墳丘の斜面に石が葺かれ、平坦面には円筒埴輪が並び、変形獣形鏡(じゅうぎょうきょう)と位至三公鏡(いしさんこうきょう)などの二面の鏡や、鉄製の剣・刀・矛・矢じりが出土されたと伝えられていますが、埋葬施設の構造は分かっていません。

なお、「大鳥塚古墳」と連なる「赤面山古墳」(せきめんやまこふん)の被葬者は、生前、「大鳥塚古墳」の被葬者に仕えていた人物とされています。

当時は、「前方後円墳」の立地に合わせてほかの古墳が設置され、その力関係が、葬られた古墳の墳丘の形と立地関係によって、死後も目に見える形で現わされたと考えられています。

この「大鳥塚古墳」の墳丘は、ほとんどの領域がクヌギ林になっており、夏でも足を踏み入れるとひんやりと感じます。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その35:応神天皇陵古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「応神天皇陵古墳」(おうじんてんのうりょうこふん)は、大阪府羽曳野市誉田(はびきのしこんだ)にある前方後円墳で、5世紀初頭に築造されたものと考えられています。

実際の被葬者は明らかではありませんが、宮内庁により「惠我藻伏崗陵」(えがのもふしのおかのみささぎ)として第15代応神天皇の陵に治定されています

また、「誉田御廟山古墳」(ごんだごびょうやまこふん)とも呼ばれ、「大仙陵古墳」(大阪府堺市)に次いで日本で2番目の大きさで、古墳の築造に使用した土量は「仁徳天皇陵古墳」より多く、大型ダンプカー17万台分以上に該当すると言われています。

墳丘の規模は、長さ約425メートル、後円部の直径約250メートル、後円部の高さ約35メートル、前方部の幅約300メートル、前方部の高さ約36メートルです。

この「応神天皇陵古墳」の周りには二重の堀がめぐらされ、濠の水深は170~250センチメートルで、「大仙陵古墳」と比較するとかなり深く、1978年に外濠と外堤は国の史跡に指定されています。

副葬品の埴輪は、円筒、キヌガサ、家、盾、甲(よろい)、草摺(くさずり)、水鳥など種類が多く、内濠(うちぼり)からは土師器(はじき)とともに鯨、烏賊(いか)、蛸、鮫、海豚などの魚形土製品も10個出土しています。

なお、「応神天皇陵古墳」は、隣接する「誉田八幡宮」の神域の森として保護されてきたため、古墳本体を覆う植生や生態系が良く保たれ、内濠にはヒメボタルが生息しています

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その36:誉田丸山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「誉田丸山古墳」(こんだまるやまこふん)は、大阪府羽曳野市に所在する円墳で、「古市丸山古墳」(ふるいちまるやまこふん)とも呼ばれ、5世紀前半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、径約50メートル、高さ約7メートルです。

この「誉田丸山古墳」は、「応神天皇陵古墳」の北側の外濠(そとぼり)に接して築造されていることから、同古墳の付属墳と考えられています。

1848年に出土したとされる豪華な金銅製の馬具は国宝に指定され、現在、「誉田八幡宮」が所蔵しています

このほか、家、衣蓋(きぬがさ)、盾、靫などの形象埴輪が「京都大学総合博物館」に保管され、宮内庁による墳丘の東側裾の発掘調査では、円筒埴輪が出土しています。

なお、「誉田丸山古墳」の内部構造等の詳細については、わかっていません。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その37:二ツ塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「二ツ塚古墳」(ふたつづかこふん)は、大阪府羽曳野市にある前方後円墳で、4世紀後半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、総長約140メートル、全長約110メートル、高さ約9.9mメートル、
後円部の径約73メートル、高さ約10.1メートル、頂径は約12メートル、前方部の幅約60メートル、長さ約50メートル、高さ約8.6メートルです。

「二ツ塚古墳」は、「応神天皇陵」より50年ほど前に築造されていることから、この古墳には「応神天皇」と深く関係する人物が埋葬者されていると推測されています

この辺りの地形は、東は石川に接し、北には「仲津山古墳」があり、西は地盤的に問題があったため、「二ツ塚古墳」は、「応神天皇陵」の内堤に食い込む形で築造されています。

なお、この「二ツ塚古墳」の周辺からは、円筒埴輪や形象埴輪が出土しています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その38:東馬塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「東馬塚古墳」(ひがしうまづかこふん)は、5世紀前半に築造されたものと考えられている方墳です。

墳丘の規模は、長さ約30メートル、高さは約3.5メートルです。

この「東馬塚古墳」は、「応神天皇陵古墳」の外側の堤上に築造されていることから、同古墳の付属墳と考えらており、墳丘周辺からは円筒埴輪が出土しています

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その39:栗塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「栗塚古墳」(くりづかこふん)は、「応神陵古墳」の東側に近接している二段の方墳で、5世紀前半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、長さ約43メートル、高さ約5メートルで、墳丘部分は「応神天皇陵」の「陪塚」(付属墳)と考えられています。

この「栗塚古墳」の墳丘と濠からは、円筒埴輪や家形の埴輪が、周の溝内からは奈良時代の「土師器」(はじき)や「雨乞」(あまごい)に使用されたと考えられる土馬が、下層からは円筒埴輪や形象埴輪などが大量に出土しています

1988年の発掘調査により、墳丘の南西隅は大きく削平を受けて築造当初より一回り小さくなっており、墳丘斜面には葺石(ふきいし)が葺かれ、外堤に円筒埴輪列がめぐらされていたことが確認されています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その40:東山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「東山古墳」(ひがしやまこふん)は、「応神天皇陵」の周濠沿いに近いところにある円墳で、5世紀初頭に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、東西の長さ約57メートル、南北の長さ約54メートル、高さ約7メートルです。

この「東山古墳」は、「アリ山古墳」の近くにあり、いずれも同じ方向を向いていることから深く関係があるとされ、また、「応神天皇」と深く関わりのある人物が埋葬されていると推測されています。

墳丘の平坦面からは、隙間なく並べられた円筒埴輪が出土されていますが、内部の全景を見渡せる箇所が少なく、情報も少ない謎の多いい古墳と言えます。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その41:はざみ山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「はざみ山古墳」は、大阪府藤井寺市にあり、前方部は東を向いている前方後円墳で、「鋏塚古墳」(はさみづかこふん)とも呼ばれ、5世紀中頃に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、長さ約103メートル、前方部の幅約66メートル、高さ約9.1メートル、後円部の径約60メートル、高さ約9.5メートル、頂高約36.7メートルです。

この「はざみ山古墳」は、三段構成で、くびれ部の両端に造出しがあり、墳丘のまわりには濠がめぐらされ、その外側に堤があったことが知られています

発掘調査では、組合せ式の石棺のほか、口縁部の径が50センチを超える大型の円筒埴輪や家形・盾形・蓋(きぬがさ)形の形象埴輪などが出土されています。

なお、「はざみ山古墳」と道を隔てて南側には「野中宮山古墳」(のなかみややまこふん)があり、同古墳が造られた後に「はざみ山古墳」が築造され、その位置関係から両古墳は密接な関係のある人物が埋葬されていると推定されています

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その42:墓山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「墓山古墳」(はかやまこふん)は、「古市古墳群」のほぼ中央、大阪府羽曳野市にある三段構造の前方後円墳で、5世紀前半に築造された「応神天皇陵」の陪塚であると考えられています。

墳丘の規模は、長さ約225メートル、高さ20.7メートルです。

この「墓山古墳」の周囲には、4基の陪塚「浄元寺山古墳」(じょうがんじやまこふん)「向墓山古墳」(むかうはかやまこふん)「野中古墳」(のなかこふん)「西墓山古墳」(にしはかやまこふん)が配され、中期大型古墳の典型的な様相が見られます

また、「墓山古墳」のくびれ部の両側には造出しがあり、濠と堤がめぐらされ、これまでに数多くの滑石製(かっせきせい)勾玉や各種の形象埴輪が出土し、後円部には亀甲紋を陰刻した長持形石棺が納置されていたとの報告もあります

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その43:野中古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「野中古墳」(のなかこふん)は、藤井寺市野中にある二段の方墳で、5世紀前半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、1辺の長さが約37メートル、高さ約5メートルで、幅約2メートルの濠がめぐらされていたことが報告されてています。

この「野中古墳」は、南に位置する「墓山古墳」に付属する「陪塚」(ばいづか・ばいちょう)のひとつで、今では大きく変形して民家に周囲を囲まれ、うっかりすると見過ごされてしまいそうな外観です。

1964年の発掘調査では、甲や冑、刀や剣、鉄の矢じりなどの武器類、鉄ていと呼ばれる鉄の地金、鍬や鋤などの農具類、錐やヤリガンナなどの工具類や、朝鮮半島南部の「伽耶」(かや)という地域の土器がまとまって出土しているほか、円筒埴輪列や石を墳丘斜面に葺いた葺石も確認されています。

この「野中古墳」の発掘調査で、鉄製の武器・武具類が圧倒的に多く、「墓山古墳」の陪塚的な位置にあることから、この古墳に葬られた人物が、生前に「墓山古墳」の被葬者に仕えて軍事的な仕事をつかさどっていたものと推定されています

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その44:向墓山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「向墓山古墳」(むこうはかやまこふん)は、大阪府羽曳野市にある方墳で、「応神天皇陵古墳」の陪塚として5世紀初頭に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、東西約68メートル、南北約62メートル、南北の両辺約62メートル、高さ約10.0メートルです。

この「向墓山古墳」の発掘調査では、細片ですが、形象埴輪の家、蓋、盾、水鳥などが出土され、円筒埴輪と朝顔形埴輪にすべて黒斑があることから、築造時期が推定されました

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その45:西馬塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「西馬塚古墳」(にしうまづかこふん)は、大阪府羽曳野市白鳥にある「応神天皇陵古墳」の陪塚であるとされる方墳で、5世紀後半に築造されたものと考えられています。

すぐ近くに「墓山古墳」があるため、同古墳の陪塚であるとの説もありますが、判断は分かれているようです。

墳丘の規模は、長さ約45メートル、高さ約9.4メートルですが、後世に削られて原型をとどめていません。

この「西馬塚古墳」は、須恵器、円筒埴輪、形象埴輪、水鳥型の埴輪などが出土しています。

なお、「西馬塚古墳」は、「古市古墳群」の方墳の中では、かなり高さがあり、今は小山のようですが、以前は、二段で葺石が施され、掘もあったようです

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その46: 浄元寺山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「 浄元寺山古墳」(じょうがんじやまこふん)は、「墓山古墳」の前方部西側、外側の堤に接している2段の方墳で、「墓山古墳」の付属墳として5世紀前半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、長さ約67メートル、高さ約9.7メートルです。

かつては、幅約10メートルの濠があったとされていますが、現在は埋め立てられ、埴輪は出土しているものの、特に発掘調査はなされていないようです

この「浄元寺山古墳」のほか、「墓山古墳」の周辺に「野中古墳」「向墓山古墳」と消滅した「西墓山古墳」の3基は、「墓山古墳」の陪塚と考えられていますが、「墓山古墳」が「応神天皇陵」の陪塚で、陪塚の陪塚という関係にあります。

なお、「浄元寺山古墳」も、他の藤井寺の古墳と同様に住宅地に置かれています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その47:青山古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「青山古墳」(あおやまこふん)は、「墓山古墳」の西側に位置し、市域南部、青山2丁目の住宅地にある円墳で、5世紀前半に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、全長約72メートル、径約65メートル、高さ約10メートルで、墳丘の南西部には径約62メートル、幅約25メートル、長さ約17メートルの造出しがあります。

この「青山古墳」は、墳丘のまわりに濠がめぐらされ、円筒埴輪や家・衣蓋・盾・靫・馬・人物形など、多数の形象埴輪や円筒埴輪が出土しています。

1987年の発掘調査では、前方後円墳が1基、方墳が4基が発見され、「青山古墳」は1号墳、これらの新たな古墳は、青山2~6号墳と名付けられ、これらは「青山古墳群」と呼ばれています

これらの「青山古墳群」は、東西に分かれ、東は「1号墳」「4号墳」「2号墳」、西は、「6号墳」「5号墳」「3号墳」の順に築造されています。

このことから、5世紀中期から末期にかけて2つの集団の長が3世代にわたって古墳が造られた結果であり、この2つの集団が親密な関係にあったことが想定されています

なお、1999年には、「青山古墳」(1号墳)の東側に円墳が見つかり、新たに「青山7号墳」と名付けらています。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その48:峯ヶ塚古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「峯ヶ塚古墳」(みねがづかこふん)は、大阪府羽曳野市にあり、「古市古墳群」の南西部に位置する二段の前方後円墳で、6世紀初頭に築造されたものと考えられています。

墳丘の規模は、長さ約96メートル、前方部の幅約74.4メートル、高さ約10.5メートル、後円部の直径約56メートル、高さ約9メートルです。

江戸時代には、「日本武尊白鳥陵」(やまとたけるのみことしらとりのみささぎりょう)に比定、現在は、「軽里大塚古墳」(かるさとおおつかこふん)を比定していますが、「允恭天皇」の皇子である「木梨軽皇子」(きなしのかるのみこ)の墓であるとの伝承もありました。

「峯ヶ塚古墳」は、「古市古墳群」のなかでは、内部施設が調査されている数少ない古墳で、復元整備のために既に12回の発掘調査が行われ、1974年に国の史跡に指定されています

墳丘の二段目斜面には、裾部分に数段の角礫(かくれき)が葺いてあるほかは表面に葺石はみられず、1992年の調査では、後円部墳頂中央部の盗掘壙から「竪穴式石室」が出土しました。

この石室や盗掘壙(とうくつこう)からは、大刀・鉄鏃・挂甲小札(けいこうこざね)などの武具、轡(くつわ)・鐙(あぶみ)などの馬具、装身具、玉類や、成人男性の骨・歯など、総数3,500 点以上が出土しています。

また、調査によって、「峯ヶ塚古墳」には、内濠の幅約11メートル、内堤の幅約18メートル、外濠の幅約8メートル、墓域は総長約168メートル、幅約148メートルの二重濠があることが判明しました。

古墳時代の後期には、全般的に古墳が縮小傾向にあるなかで、巨大な二重濠を持つ「峯ヶ塚古墳」の被葬者は、大王級の権力を持つ人物であると推測されています

キーワードチェック:角礫
角礫とは、砂よりも大きく角張った形をしている破片の集合のことを言います。
キーワードチェック:盗掘壙
盗掘壙とは、盗掘された痕跡のことを言い、盗掘壙のまわりには土器片や人骨片などのさまざまな考古資料が散見されることが多くあります。

「百舌鳥・古市古墳群」の特徴・おすすめスポット その49:白鳥陵古墳

「百舌鳥・古市古墳群」の「白鳥陵古墳」(はくちょうりょうこふん)は、「古市古墳群」の南部にあり、「墓山古墳」の南、「白髪山古墳」(しらがやまこふん)の北東に位置する三段の前方後円墳で、5世紀後半に築造されたものと考えられています。

「白鳥陵古墳」は、「軽里大塚古墳」または「前の山古墳」との別称もあり、被葬者は、第12代「景行天皇」皇子の「日本武尊陵」と治定され、「羽曳野市」の名前の由来となった古墳でもあります

「日本書紀」では、「日本武尊は遠征の帰り道、伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなり、白鳥となって大和琴弾原(ことひきはら)を経由して古市に飛来し、また埴生野(はにゅうの)の空を向かって羽を曳くように飛び去った」と伝えられ、「羽曳野市」と名付けられたようです。

墳丘の規模は、長さ約200メートル、後円部直径約106メートル、高さ約20メートル、前方部幅約165メートル、高さ約23メートルで、前方部の幅が後円部の直径を上回り、前方部の高さが3メートル高くなっています。

くびれ部の両側には造出しがあり、周りには幅30メートルから50メートル程度の周濠と上面幅21メートルの堤がめぐらされ、現在は、この周濠に水が湛えられ、静寂な雰囲気をただよわせています。

主体部や副葬品については不明ですが、1981年の発掘調査で、後円部に円筒埴輪列が確認され、朝顔形の埴輪や家、蓋などの形象埴輪が出土しています

観光課や公式サイトからの情報まとめ (動画など)

公式サイト

藤井寺市観光観光協会
http://www.fujiidera-kanko.info/index.html

大阪観光局
https://osaka-info.jp/

「百舌鳥・古市古墳群(大阪府)」へのアクセス方法

「百舌鳥・古市古墳群(大阪府)」へのアクセスは、下記の通りです。

1)反正天皇陵古墳
住所:堺市堺区北三国ヶ丘町2丁
アクセス:
南海高野線「堺東駅」下車、JR阪和線「堺市駅」下車
2)仁徳天皇陵古墳
住所:堺市堺区大仙町
アクセス:
JR阪和線「百舌鳥駅」下車 徒歩8分
7)「塚廻古墳」
住所:堺市堺区百舌鳥夕雲町1丁
アクセス:
JR阪和線・南海高野線「三国ヶ丘駅」下車
8)収塚古墳
住所:堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁
アクセス:
JR阪和線「百舌鳥駅」下車
9)孫太夫山古墳
住所:堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁
アクセス:
JR阪和線「百舌鳥駅」下車
10)竜佐山古墳
住所:堺市堺区大仙中町
11)銅亀山古墳
住所:堺市堺区大仙町
アクセス:
JR阪和線「百舌鳥駅」下車
12)菰山塚古墳
住所:堺市堺区南丸保園
アクセス:
南海高野線「三国ヶ丘駅」下車、JR阪和線「三国ヶ丘駅」下車、南海バス「永山園バス停」下車
13)丸保山古墳
住所:堺市堺区北丸保園
アクセス:
JR阪和線、南海高野線「三国ヶ丘駅」下車、南海バス「永山園バス停」下車
14)長塚古墳
住所:堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁
アクセス:
JR阪和線「百舌鳥駅」下車
15)旗塚古墳
住所:堺市堺区百舌鳥夕雲町3丁
アクセス:
JR阪和線「百舌鳥駅」下車
16)銭塚古墳
住所:堺市堺区東上野芝町1丁
17)履中天皇陵古墳
住所:堺市西区石津ヶ丘
アクセス:
JR阪和線「上野芝駅」下車
18)寺山南山古墳
住所:西区上野芝町1丁309-1他
19)七観音古墳
住所:堺市堺区旭ヶ丘北町5丁
20)いたすけ古墳
住所:堺市北区百舌鳥本町3丁
アクセス:
JR阪和線「百舌鳥駅」下車
21)善右ヱ門山古墳
住所:堺市北区百舌鳥本町
アクセス:
JR阪和線「上野芝」駅 北東に徒歩12分
22)御廟山古墳
住所:堺市北区百舌鳥本町1丁
アクセス:
JR阪和線「百舌鳥駅」下車
23)ニサンザイ古墳
住所:堺市北区百舌鳥西之町3丁
アクセス:
南海高野線「中百舌鳥駅」下車、地下鉄御堂筋線「なかもず駅」下車、JR阪和線「百舌鳥駅」下車
24)津堂城山古墳
住所:藤井寺市小山6-5-6
アクセス:
近鉄藤井寺駅より北へ1.6キロメートル、または近鉄藤井寺駅より近鉄バス「小山バス停」)
25)允恭天皇陵古墳
住所:藤井寺市国府
アクセス:
近鉄南大阪線「土師ノ里」駅 北へ徒歩2分
28)仲姫命陵古墳
住所:藤井寺市沢田4丁目
アクセス:
土師ノ里駅から南西へ約300メートル
29)鍋塚古墳
住所:葛城市竹内
アクセス:
近鉄磐城駅より徒歩20分
30)助太山古墳
住所
住所:藤井寺市道明寺
アクセス:
近鉄南大阪線「土師ノ里」駅 南へ徒歩5分
31)中山塚古墳
住所:藤井寺市道明寺
アクセス:
近鉄南大阪線「土師ノ里」駅 南へ徒歩6分
32)八島塚古墳
住所:藤井寺市道明寺
アクセス:
近鉄南大阪線「土師ノ里」駅 南へ徒歩5分
34)大鳥塚古墳
住所:藤井寺市古室
アクセス:
近鉄南大阪線「土師ノ里」駅 南西へ徒歩13分
「道明寺」駅 西へ徒歩15分
36)誉田丸山古墳
住所:羽曳野市誉田
アクセス:
近鉄南大阪線「土師ノ里」駅 南西に徒歩15分
37)二ツ塚古墳
住所:羽曳野市誉田
アクセス:
近鉄南大阪線「土師ノ里」駅 南に徒歩15分
38)東馬塚古墳
住所:羽曳野市誉田
アクセス:
近鉄南大阪線「土師ノ里」駅 南に徒歩15分
39)栗塚古墳
住所:羽曳野市誉田
アクセス:
近鉄南大阪線「土師ノ里」駅 南に徒歩15分
40)東山古墳
住所:
車でのアクセス:
南阪奈道路「羽曳野IC」より車で約12分
電車でのアクセス:
近鉄南大阪線「古市駅」より徒歩約18分
バスでのアクセス:
近鉄バス「羽曳野警察署前停留所」下車徒歩約1分
41)はざみ山古墳
アクセス:
近鉄南大阪線・古市(ふるいち)駅または藤井寺駅
45)西馬塚古墳
住所:羽曳野市白鳥
アクセス:
近鉄南大阪線「古市」駅 北西に徒歩8分
46)浄元寺山古墳
住所:藤井寺市青山
アクセス:
近鉄南大阪線古市駅より北西に徒歩14分
47)青山古墳
住所:藤井寺市青山
アクセス:
近鉄南大阪線「古市」駅 西に徒歩14分

まとめ

いかがでしたか。

「百舌鳥・古市古墳群」は、大阪府の堺市、羽曳野市、藤井寺市にある45件49基の古墳具の総称であり、中には見学できないものもありますが、古墳時代の歴史や生活の一部を垣間見ることができます。

世界遺産にも登録された「百舌鳥・古市古墳群」をまだ訪れたことがない方は、ぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。

リンク

https://www.nippon.com/ja/features/h10035/

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