Contents
- 1 「原爆ドーム」について
- 2 「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その1:原爆ドーム
- 3 「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その2:平和の鐘
- 4 「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その3:原爆の子の像
- 5 「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その4:平和の灯(へいわのともしび)
- 6 「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その5:原爆死没者慰霊碑(げんばくしぼつしゃいれいひ)
- 7 「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その6:広島平和記念資料館(ひろしまへいわきねんしりょうかん)
- 8 「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その7:国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
- 9 「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その8:アオギリ
- 10 「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その9:相生橋(あいおいばし)
- 11 「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その10:袋町小学校平和資料館
- 12 観光課や公式サイトからの情報まとめ (動画など)
- 13 「原爆ドーム」へのアクセス方法
- 14 まとめ
「原爆ドーム」について
「原爆ドーム(広島県)」は、1915年に広島県の物産を展示する目的で、チェコの建築家である「ヤン・レツル」によって設計され、「広島県物産陳列館」として建設されました。
建設場所は、中国山地から「広島湾」に流れる「太田川」が形成するデルタ状と、本川と元安川が分岐する地点が選ばれ、河岸約2,310平方メートルを埋め立てて、旧広島藩の米倉と民有地を整地に加えた約3,200平方メートルが使用されました。
「原爆ドーム(広島県)」の元である「広島県物産陳列館」は、煉瓦と鉄筋コンクリートの3階建てで、正面の中央階段室が5階建てのドーム状になっており、一部に地階がありました。
ドーム部分は銅板葺、そのほかの部分はスレート葺で、ドーム先端までの高さは約25メートル、建築面積はおよそ1,002平方メートルで、噴水池のある洋風庭園や東屋のある和風庭園が整備されていました。
この「広島県物産陳列館」の建物は、1945年に原爆が投下された爆心地からおよそ北西160メートルの至近距離にあったため、熱線と爆風で大破し、全焼しました。
しかし、「広島県物産陳列館」のドーム中心部は、この時の爆風が上方からほぼ垂直に働いたため、奇跡的に倒壊を免れたと考えられています。
なお、この「広島県物産陳列館」を「原爆ドーム」と呼ぶようになった由来は、建物の頂上にある天蓋の残骸が傘状になっていることから、いつ頃からともなく、誰ということもなく、市民から自然に言われるようになったそうです。
具体的な物件 原爆ドーム
所在地 広島県広島市
推薦年月 平成7年
記載年月 平成8年12月
区分 文化遺産
「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その1:原爆ドーム
「原爆ドーム」は、1915年には広島県内の物産品を展示・販売したり、広島県美術展覧会や博覧会などが開催される 「広島県物産陳列館」という名称でした。
その後は、「広島県立商品陳列所」と呼ばれ、1933年に「広島県産業奨励館」と改称されました。
チェコの建築家「ヤン・レツル」氏によって設計された「原爆ドーム」は、大胆なヨーロッパ風の建物で、当時、都心部の殆どが木像2階建てだった広島県ではめずらしいもので、広島名所の1つとなっていました。
1945年8月6日午前8時15分に人類史上最初の原子爆弾が投下されたのは、この「広島ドーム」の建物からほど近く、爆風の圧力は1平方メートルあたり35トン、風速440メートルという凄まじいものでした。
当然、「広島県産業奨励館」の建物は、爆風と熱線によって大破し、天井から火を吹いて全焼し、館内にいた人のすべてが即死したと言われています。
しかし、この時、爆風がほぼ垂直に働いたため、本館の中心部が奇跡的に倒壊を免れ、建物の残骸が市民から「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました。
1953年には、この「原爆ドーム」は、広島県から広島市に譲渡され、1966年に広島市議会が原爆ドームの保存を決議し、これまで国内外での善意の募金によって、風化が進んだ建物は、4回にわたる大規模な保存工事が行わています。
現在、「原爆ドーム」は、「ノーモア・ヒロシマ」の象徴として、時代を越えて被爆の惨状や核兵器の廃絶と恒久平和の大切さを世界へ訴えるシンボルとなっています。
なお、この「原爆ドーム」は、入場して内部に立ち入ることはできませんので、外からの見学になります。
「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その2:平和の鐘
「原爆ドーム」にほど近いところにある「平和の鐘」は、「原爆ドーム」とともに見ておきたいスポットです。
この「平和の鐘」は、1964年に「原爆被災者広島悲願結晶の会」によって建設され、鐘の表面には「世界は1つ」であることを象徴するため、国境が描かれていない世界地図が彫られています。
環境庁の「残したい日本の音百選」にも選ばれ、鐘の撞座(つきざ)は、原水爆を禁止する思いを込めた原子力マークが、その反対側には、鐘をつく人の心を写し出すという鏡が入れられています。
「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その3:原爆の子の像
「原爆ドーム」から散策できる距離にある「原爆の子の像」も、おすすめスポットです。
この「原爆の子の像」は、原爆で亡くなった当時12歳だった「佐々木禎子」さんの像で、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰めて平和を築くため、募金によって「平和記念公園」内に作られました。
「原爆の子の像」の三脚は、ドーム型の台座になっており、その頂上には金色の折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立っています。
また、その左右には、明るい未来と希望を象徴している少年と少女の像が置かれています。
なお、「原爆の子の像」の存在は、世界に広まり、現在も日本全国に加えて、世界各国から年間約1千万羽にものぼる折り鶴が捧げられているそうです。
「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その4:平和の灯(へいわのともしび)
「原爆ドーム」から散策できる範囲内にある「平和の灯」も、ぜひ見ておきたいおすすめスポットです。
この「平和の灯」は、1964年に、当時、東京大学の教授だった「丹下健三」さんによって設計され、点火されてから現在もずっと灯されたままです。
台座は、手首を合わせて手のひらを空に広げたような形のデザインで、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続ける」という反核悲願を象徴しています。
「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その5:原爆死没者慰霊碑(げんばくしぼつしゃいれいひ)
「原爆ドーム」からほど近くにある「原爆死没者慰霊碑」も、必見の見どころスポットです。
この「原爆死没者慰霊碑」は、「平和の灯」と同じく「丹下健三」によって設計され、「広島平和都市記念碑」が正式名称です。
中央の石室には被爆によって亡くなった原爆死没者の名簿が納められ、毎年、関係者によって名前が書き加えられ、壊滅した広島市を「平和都市」として再建することを願って建設されました。
「原爆死没者慰霊碑」の屋根部分は、雨露から原爆犠牲者の霊を守りたいとの思いから、はにわの家型になっており、碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」という碑文が刻まれています。
「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その6:広島平和記念資料館(ひろしまへいわきねんしりょうかん)
「原爆ドーム」から足をのばして見ておきたいスポットとして、「広島平和記念資料館」も外せません。
「広島平和記念資料館」は、原子爆弾による被害の実相を世界に伝え、核兵器の廃絶と世界の恒久平和を実現するため、1955年に開館されました。
この「広島平和記念資料館」は、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料が収集・展示され、広島の被爆前後のようすや核時代の状況などが紹介されています。
このほか、被爆者による被爆体験講話会などが実施されているほか、平和学習に関する資料の貸出しも行われています。
「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その7:国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
「原爆ドーム」を訪れる際には、ぜひ、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」も見ておきましょう。
「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」は、原爆死没者の尊い犠牲を銘記して永遠の平和を祈念し、世界中の人々による原爆惨禍の理解を深め、被爆体験を後世に伝えることを目的として、2002年に開館されました。
この「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」には、原爆の投下された時刻である8時15分を示すモニュメントがあり、館内には、平和祈念・死没者追悼空間があります。
爆心地の「島病院」付近からみた被爆後の街並みがパノラマで表現され、遺影コーナーでは、原爆死没者の氏名と遺影(写真)が公開されています。
また、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」の体験記閲覧室では、被爆体験記や被爆証言映像等の資料を閲覧・視聴でき、情報展示コーナーでは、企画展が開催され、被爆体験記を中心に特定のテーマで展示が行われています。
このほか、被爆体験記や原爆詩についての被爆体験記朗読会も開催されています。
「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その8:アオギリ
「原爆ドーム」から散策できる距離にあるおすすめスポットには、「アオギリ」があります。
この「アオギリ」は、「広島平和記念資料館」の東館の北側にあり、被爆したアオギリから採れる種子を発芽させて育て、広島市の平和活動の一環として、その苗木が世界中に配布されて植えられているそうです。
「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その9:相生橋(あいおいばし)
「原爆ドーム」と「平和記念公園」を結び、本川と元安川の分岐点に架かっているT字型の「相生橋」も、見ておきたいおすすめスポットです。
この「相生橋」は、原爆の標的とされていましたが、実際には300メートルほどずれた「志摩病院」の上空600メートルのところで爆発しました。
しかし、この橋付近にいた大勢の人々もほぼ即死だったと言われ、毎年8月6日には、元安川下流側で被爆犠牲者を弔う灯篭流しが行われています。
なお、「相生橋」は、夜にはライトアップされ、その上を通る路面電車や車が、まるで宙を走っているように見え、昼間とは違う景観が見られます。
「原爆ドーム」の特徴・おすすめスポット その10:袋町小学校平和資料館
「原爆ドーム」からほど近くにある「袋町小学校平和資料館」も、おすすめスポットです。
「袋町小学校平和資料館」は、もとは「袋町小学校」として1937年に完成されました。
当時としては、鉄筋コンクリートで大変近代的な建物で、地下1階地上3階建・水洗トイレ・ダストシュートなどが備わっていました。
この「袋町小学校」は、1945年に被爆して外郭のみを残す廃墟となりましたが、「袋町小学校」では、偶然にも地下にいた児童3人が生き残ったそうです。
「袋町小学校」は、数日後、被爆者の避難場所・救護所の役割を果たし、本校児童・教職員の安否や地域住民などの安否を尋ねる場となりました。
残っているのは、真っ黒に煤けたコンクリートの壁と床に散らばるわずかなチョークだけで、壁には家族の安否を気遣う伝言が書かれ、被爆直後の緊迫した状況が伝わってきます。
学校が復旧すると校舎も改修され、「伝言」は、黒板の裏に隠されるか、漆喰で覆われ、校舎は「西校舎」と呼ばれて多くの子どもたちが巣立って行きました。
そんな「袋町小学校」は、戦後50年以上を経て老朽化が進んで取り壊され、2002年に広島市まちづくり市民交流プラザ等との合築施設として生まれ変わりました。
被爆した「西校舎」は、その一部が「広島市立袋町小学校平和資料館」として保存され、壁に残された「伝言」や被爆当時の炭化した木れんが、爆風で歪んだ地下の鉄製のドアなどは永久に保存されることにしました。
観光課や公式サイトからの情報まとめ (動画など)
公式サイト
ひろしま観光ナビ
https://www.hiroshima-kankou.com/
「原爆ドーム」へのアクセス方法
「原爆ドーム」および「平和記念公園」へのアクセスは、下記の通りです。
住所:広島県広島市中区大手町1-10
電車でのアクセス:
広電広島駅より広島電鉄によって原爆ドーム前で下車、徒歩1分
まとめ
いかがでしたか。
「原爆ドーム」および「平和記念公園」は、戦争によって広島県に原爆が落とされ、犠牲となった多くの人々や建物の悲惨さを理解し、今後、二度と同じことが起きないことを誓い、改めて恒久平和を祈願したくなるスポットです。
世界遺産にも登録された「原爆ドーム」をまだ訪れたことがない方は、ぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。