日本の世界遺産特集(6)第六回「紀伊山地の霊場と参詣道(三重県・奈良県・和歌山県)」

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「紀伊山地の霊場と参詣道」について

「紀伊山地の霊場と参詣道」は、和歌山県・奈良県・三重県の3つの霊場である「吉野・大峰」「熊野三山」「高野山」と参詣道の「熊野参詣道」「大峯奥駈道」(おおみねおくがけみち)「高野参詣道」のことを言います。

日本では12番目に世界遺産に登録され、近畿地方では5番目に登録されました。

日本の世界文化遺産としては、最大で、その広さは1万1865.3ヘクタールにまで及び、標高1,000メートル~2,000メートル級の山脈が縦横を走る紀伊山地では、昔から自然を神格化して崇める神道が盛んな地域でした。

6世紀になって大陸から仏教が日本に伝わって以降、7世紀後半には、山岳修行の地となりました。

さらに、9世紀には「高野山」で真言密教が、10世紀~11世紀には「吉野・大峰」や「熊野三山」で修験道が修業する場となり、都のあった奈良盆地近辺の人々の信仰を集めていました。

この地域で宗教の信仰が深まった背景には、連なる山々が南の海に迫る独特の地形や、山と海のかもしだす対照的な景観の構成などが大きく影響したと言われています。

こうして、「高野山」「吉野・大峰」「熊野三山」の三大霊場は、神仏習合の思想と密接に関わり、各霊場につながる下記の6つの参詣道が整備されました。

1)「大辺路」
2)「中辺路」
3)「小辺路」
4)「大峰奥駈道」
5)「伊勢路」
6)「高野山町石道」

この「紀伊山地の霊場と参詣道」は、日本で初めて「道」が登録された世界遺産であり、初めて名勝・庭園・遺跡などを意味する「文化的景観」に選ばれたという点でも注目されています。

なお、登録は2004年ですが、2016年に追加登録など、登録内容が軽微に変更されています。

記載物件名:紀伊山地の霊場と参詣道
具体的な物件:
1.吉野山(よしのやま)、2.吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)、3.金峯神社(きんぷじんじゃ)、4.金峯山寺(きんぷせんじ)、5.吉水神社(よしみずじんじゃ)、6.大峰山寺(おおみねさんじ)、7.熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)、8.熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)、9.熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)、10.青岸渡寺(せいがんとじ)、11.那智大滝(なちのおおたき)、12.那智原始林(なちげんしりん)、13.補陀洛山寺(ふだらくさんじ)、14.丹生都比売神社(にゅうつひめじんじゃ)、15.金剛峰寺(こんごうぶじ)、16.慈尊院(じそんいん)、17.丹生官省符神社(にうかんしょうふじんじゃ)、18.大峰奥駈道(おおみねおくがけみち)、19.熊野参詣道中辺路(くまのさんけいみちなかへち)、20.熊野参詣道小辺路(くまのさんけいみちこへち)、21.熊野参詣道大辺路(くまのさんけいみちおおへち)、21.熊野参詣道伊勢路(くまのさんけいみちいせじ)、22.高野参詣道(こうやさんけいみち)
所在地:
三重県、尾鷲(おわせ)市、熊野(くまの)市、度会(わたらい)郡大紀町、北牟婁(きたむろ)郡紀北町、南牟婁(みなみむろ)郡御浜(みはま)町、紀宝(きほう)町
奈良県、五條市、吉野(よしの)郡吉野(よしの)町、黒滝(くろたき)村、天川
(てんかわ)村、野迫川(のせがわ)村、十津川(とつかわ)村、下北山(しもきたやま)村、上北山(かみきたやま)村、川上(かわかみ)村
和歌山県、新宮(しんぐう)市、田辺(たなべ)市、橋本(はしもと)市伊都(いと)郡かつらぎ町・九度山(くどやま)町・高野(こうや)町西牟婁(にしむろ)郡白浜(しらはま)町、すさみ町、上富田(かみとんだ)町、東牟婁(ひがしむろ)郡那智勝浦(なちかつうら)町、串本(くしもと)町
推薦年月 平成15年1月
記載年月 平成16年7月
資産範囲の軽微な変更承認年月 平成28年10月
区分 文化遺産

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その1:吉野山

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「吉野山」は、奈良県にあり、吉野川の南岸から南北に大峰山脈へと約8キロメートル続く尾根続きの山稜の総称です。

この「吉野山」は、「豊臣秀吉」が花見をしたほどの古くから桜の名所で、地域毎に下千本・中千本・上千本・億千本と呼ばれています

1924年に国の名勝・史跡に指定、1936年に吉野熊野公立公園に指定、1990年に日本さくら名所100選に選定されました。

「吉野山」を訪れるなら、桜の咲く春の季節がオススメです。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その2:吉野水分神社

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「吉野水分神社」は、奈良県吉野郡にあり、「葛城水分神社」「都祁水分神社」「宇太水分神社」とともに「大和国四所水分社」として信仰されています

「水分」(みくまり)が、「みこもり」となまって「子守明神」と呼ばれ、「子授けの神」として知られています。

この「吉野水分神社」の見どころは、下記の2つです。

本殿

「吉野水分神社」の「本殿」は、中央が春日造、両脇は流れ造の三殿一棟造で、非公開ですが、本殿の右側に国宝に指定されている「木造玉依姫命」(たまよりのひめみこ)の坐像が安置されています

安産や子授け祈願の多くの参拝者が、この本殿を訪れています。

桜門と拝殿

「吉野水分神社」の「桜門」は、神社入り口にある大きな朱塗りの鳥居をくぐってすぐのところにある、朱塗りの二階建て屋根付きの門で、「楼門」を入って左手に本殿と向き合う形で「拝殿」が置かれています。

春には桜が咲きほこり、夏は緑が青々と茂り、秋には紅葉が色づき、冬は白い雪の中に鮮やかな朱の門が映え、人気の写真撮影スポットとなっています

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その3:金峯神社

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「金峯神社」は、奈良県吉野郡吉野町にあり、金鉱を保護し、黄金を司る吉野山の地主神「金山毘古命」(かなやまひこのみこと)が祀られ、知る人ぞ知る金運アップのパワースポットです。

中世以降に修験道の修行場となったことで知られており、「藤原道長」が祈願したことが「栄華物語」に記されています。

この「金峯神社」は、拝殿・本殿を左に下ると、「源義経」が「弁慶」たちと潜伏したことから「義経隠れ塔」と名付けられたり、追っ手に囲まれた時に屋根を蹴破って逃げたことから「蹴抜け塔」と呼ばれている塔があります。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その4:金峯山寺

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「金峯山寺」は、奈良県吉野郡にある金峰山修験本州(修験道)の本山で、開基は「役小角」(えんのおずぬ)、本尊は「蔵王権現」と伝えられています。

そんな「金峯山寺」の見どころは、下記の6つです。

脳天大神龍王院

「金峯山寺」の「脳天大神龍王院」は、昭和28年に創建され、頭脳の守護神であることから学業試験などの願い事を成就してくれる学業の神様です。

初代管長の「覚澄大僧正」が修行場所を探している時に頭を割られた蛇に会い、経文を唱えて葬ったところ、「蔵王権現」が蛇に姿を変えて夢枕に立ち、「頭の守護神として祀るように」と霊言したことが建立のいわれであると伝えられています。

本堂

「金峯山寺」の「本堂」は、国宝に指定されており、白鳳年間に「役小角」によっって創建されたと伝えられています

木造の古建築としては、東大寺の大仏殿に次ぐ規模を持っていますが、平安時代以降に何度か焼失・再建を繰り返し、現在の「本堂」は、安土桃山時代のものと言われています。

金剛蔵王権現

「金峯山寺」の「本堂」には、三体の「金剛蔵王権現」が本尊として祀られています

秘仏本尊は、約7メートルの巨大な像で、体を青く燃やして魔を威嚇しながら右足を振り上げ、金色の眼を光らせて気炎を吐いており、その威厳ある風貌には圧倒されます。

銅の鳥居

「金峯山寺」の「銅の鳥居」は、重要文化財に指定されており、安芸宮島の朱塗りの鳥居、大阪四天王寺の石の鳥居と並んで日本三大鳥居の1つです。

俗界と聖地の境界を象徴する建造物で、「東大寺」の大仏に使用した銅の残りで建造されたと伝えられていますが、一時は焼失して室町時代に再建されました。

仁王門

「金峯山寺」の「仁王門」は、国宝に指定されており、東大寺南大門の仁王像に次ぐ大きさを誇っています。

門の左右に安置されている約5メートルの「金剛力士像」は、1339年に仏師「康成」が作ったもので、重要文化財に指定されています

愛染堂

「金峯山寺」の「愛染堂」は、「愛染明王」が祀られており、良縁祈願の神様として知られています。

手にハートを射貫く弓矢を持ち、愛を成就するという霊験があり、例祭は毎月27日に行われています。

キーワードチェック:霊験
霊験は、神仏が示すという不思議な感応や、祈りに対して現れるご利益のことです。呪術は、人間が霊験を希求することから生まれたと言われています。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その5:吉水神社

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「吉水神社」は、奈良県吉野郡にあり、もともとは「金峯山寺」の「吉水院」(きっすいいん)でしたが、明治維新の廃仏毀釈によって神社になりました

この「吉水神社」は、1185年より「源義経」と「静御前」が「弁慶」らとともに「源頼朝」の追っ手から逃れて隠れ住んだと言われ、悲運の英雄と佳人との悲恋物語を後世に伝える遺品が残されています。

また、1336年に「後醍醐天皇」が京の「花山院」から行幸されて吉水院を南朝の皇居としたとされ、この「吉水神社」は南朝唯一の行宮となっています。

「吉水神社」の主祭神は「後醍醐天皇」で、南朝方の忠臣「楠木正成」「吉水院信法印」を配祀しています。

そんな「吉水神社」の見どころは、主に2つです。

源義経・静御前潜居の間

「吉水神社」の「源義経・静御前潜居の間」は、鎌倉から追討状が送られていた「源義経」が、やむを得ず山伏に変装し、「弁慶」らと大峰山を目指しましたが、大峰山は女人金世であることから、ここで別れたと伝えられています。

間口が広く奥行きの浅い特殊構造の床の間や、上下の間を束で支えない珍しい違棚などの特徴があります。

その右手にある一畳敷は「弁慶思案の間」と言われ、「弁慶」がここで見張りをしながら秘策を思案していたそうです。

この「源義経・静御前潜居の間」には、主に下記の6つの展示物があります。

1)義経の鎧(色々威腹巻)
2)義経の鞍
3)弁慶の小手
4)弁慶七つ道具(武装槍)
5)静御前の鎧
6)佐藤忠信の鎧

後醍醐天皇玉座

「吉水神社」の「後醍醐天皇玉座」は、「後醍醐天皇」が京の「花山院」から吉野に行幸し、この部屋は「南朝の皇居」と定められました。

この「後醍醐天皇玉座」は、上段の間5畳と下段10畳敷によって構成され、当時の豪華な書院造の様式と風格のある桃山時代の典型的な書院です。

この書院内には、下記の13の物品が後醍醐天皇の御物として展示されています。

1)御製色紙
2)三五中録第二の巻
3)竹文台硯箱
4)石硯
5)笙(ふえ)
6)羊皮太鼓
7)御茶台(大塔宮御所用)
8)陣羽織(大塔宮御所用)
9)金輪寺茶入
10)後醍醐天皇御辰筆
11)矢筒(楠木正成公所持)
12)楠氏系図
13)毘沙門天像(楠木正成公所持)

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その6:大峰山寺

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「大峯山寺」は、奈良県吉野郡天川村にある修験道の寺院で、672年に役の行者が苦行の後、「金剛蔵王権現像」を感得して、その姿を桜の木に刻み、堂宇に祀ったことが由来とされている修験道の根本道場です。

古くは、「大峯山寺」の「本堂」は、「山上蔵王堂」と呼ばれる大規模な建造物でしたが、改築・再建を重ね、吉野山麓の一向宗「本善寺」との争いの末に焼失されました。

その後、1691年に現在の本堂が建立され、さらに1703年に現在の規模に拡張されました。

この「大峯山寺」は、数少ない修験道の遺構であり、国の重要文化財にも指定され、明治時代の発掘調査で「藤原道長」の経筒などが出土しています。

平安時代初期より現在に至るまで国内で唯一の女人禁制で、3つの表行場「油こぼし」「鐘掛岩(かねかけいわ)」「西の覗き」と、4つの裏行場「胎内くぐり」「平等岩」「蟻の戸渡り」「東の覗き」があります。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その7:熊野本宮大社

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「熊野本宮大社」は、和歌山県田辺市本宮町にあり、創建は、紀元前233年の「崇神天皇」で、神勅により「熊野本宮大社」の社殿が「大斎原」に創建されました。

この「熊野本宮大社」の主祭神は、「家都美御子大神」(けつみみこのおおかみ)」、「熊野坐大神」(くまぬにますおおかみ)、「熊野加武呂乃命」(くまぬかむろのみこと)で、「熊野三山」の一つです。

キーワードチェック:熊野三山
「熊野三山」とは、新宮市にある「熊野速玉大社」、那智勝浦町那智山の「熊野那智大社」を加えた3社と、「青岸渡寺」「補陀洛山寺」の2寺のことを言います。

「熊野本宮大社」は、「上社」「中社」「下社」の三者からなることから「熊野三所権現」と呼ばれるほか、「十二殿」に御祭神が鎮座することから「熊野十二社権現」とも呼ばれています

全国に4,000社ほどある「熊野神社」の総本宮で「日本第一大霊験所根本熊野三所権現」の称号が与えられました。

そんな「熊野本宮大社」の見どころは、主に2つです。

八咫烏(やたがらす)

「熊野本宮大社」の「八咫烏」は、「熊野本宮大社」の主祭神「家都美御子命」(けつみみこのみこと)のお仕えした「三本足」の「神の鳥」で、より良い方向に導く「お導きの神様」と言われています。

「熊野本宮大社」には、「一の鳥居」の手前に、この神社のシンボルマークとして「八咫烏」の旗が掲げられています。

これは、「神武東征」の際、この「八咫烏」が先導して「神日本磐余彦命」(かむやまといわれひこのみこと)が無事に大和の橿原(かしはら)に移ることができ、紀元前660年に初代天「神武天皇」として即位されたと伝えられています。

キーワードチェック:神武東征
神武東征とは、「神日本磐余彦尊」(はつくにしらすすめらみこと)が日向を発って奈良盆地およびその周辺地域を征服し、はじめて天皇位「神武天皇」についたという一連の説話のことです。

本殿・社殿

「熊野本宮大社」の「本殿」は、「八咫烏」の銅像から続いている参道を進み、158段の石階段を登りきると見えてきます

「神門」をくぐると、まず主祭神「家都美御子命」が祀られている「第三殿・本宮」の「証誠殿」があります。

その左隣に「社殿」があり、「熊野三山」のひとつ「熊野速玉大社」の主祭神「御子速玉大神」(みこはやたまのおおかみ)が祀られている「第二殿・結宮」の「中御前」があります。

さらに、1つ左隣には、「熊野三山」のひとつ「熊野那智大社」の主祭神「熊野夫須美大神」(くまのふすみのかみ)が祀られている「第一殿・結宮」の「西御前」があります。

この3つの「社殿」の1番右側には、「天照大神」の祀られている「第四殿・若宮」の「東御前」があり、その右手側に「結ひの神」(八百萬の神)の祀られている「満山社」という小さな「社」があります。

なお、境内は写真撮影が禁止ですので、ぜひ実際にご自身の目で確認してみてください。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その8:熊野速玉大社

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「熊野速玉大社」は、創建年代は不詳で、和歌山県新宮市にあり、「熊野三山」の一つとなる神社で主祭神は、「熊野速玉大神」(くまのはやたまのおおかみ)と「熊野夫須美大神」(くまのふすみのおおかみ)です。

この「熊野速玉大社」は、神倉山のふもとにある住宅街の中にひっそりとたたずみ、木々に覆われたところから鳥居が現れ、自然の雰囲気と厳粛さがあいまった独特の空間をかもしだしています。

和歌山県では、「熊野速玉大社」は、屈指のパワースポットとして知られており、そんな「熊野速玉大社」の見どころは、主に2つです。

梛(なぎ)の木

「熊野速玉大社」の「梛の木」は、鳥居をくぐって「神門」に向かうところにあるご神木で、樹齢は100年を超えています。

この「梛の木」は、日本でも最大級の大きさをほこり、「平重盛」が手植えしたとも伝えられ、天然記念物に指定されています。

神門と拝殿

「熊野速玉大社」の「神門」の「拝殿」は、鮮やかな朱塗りで、「熊野速玉大社」の第一殿には「熊野夫須美大神」、第二殿には「熊野速玉大神」、第三殿には「家津美御子大神」、第四殿には「天照大神」が祀られ、このほかにも神倉山にあるゴトビキ岩など、複数の神々が祀られていることが特徴です。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その9:熊野那智大社

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「熊野那智大社」は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にあり、この地域は、山、滝、森などの自然に囲まれ、日本の始まりに大きく関わる古い歴史を持っています

主祭神は「熊野夫須美大神」、熊野三山の一つです。

ちなみに、熊野三山のうち、熊野速玉大社は岩、熊野那智大社は滝、熊野本宮神社は川をご神体とし、速玉は過去、那智は現在、本宮は未来を表すとされています。

「熊野那智大社」の「拝殿」には、まず「八咫烏」の像と社殿の建ち並ぶ手前に「烏石」(八咫烏こと)があり、そこから第一殿から第五殿があります。

その「拝殿」の正面右側には、長さ133センチの細長い柱状の箱からなる日本一大きなおみくじがあり、その裏手に「胎内くぐり」ができる木があります。

この木は、拝殿前に置かれている護摩木に願い事を書いてくぐると、病気をしないで長生きができると伝えられています。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その10:青岸渡寺

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「青岸渡寺」は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院で、西国三十三所第一番札所となっています。

本尊は、如意輪観世音菩薩で、本堂と宝篋印塔は、重要文化財に指定されています。

この「青岸渡寺」の創建は不明ですが、「仁徳天皇」の4世紀の頃、熊野灘の浜に漂着したインドの「裸形上人」が那智山に籠もって「那智の滝」で修行する際、滝壺に八寸の黄金色に輝く観音菩薩を手に入れ、小堂を建てて祀ったことが創始であると伝えられています。

その後、200年後の「推古天皇」の時代に、大和の「生佛上人」が訪れ、玉椿の大木で約3メートルの「如意輪観世音」を彫って「裸形上人」の「観音菩薩」を胎内仏として納め、正式な本堂が建立されたとそうです。

平安朝の中期から鎌倉時代には、「熊野三山」の信仰は、「蟻の熊野詣」と言われるほど最盛期を迎え、65代「花山法皇」が「那智山」を始めとする山中に参籠され、近畿各地にある「三十三の観音様」を巡拝したことから、青岸渡寺は「西国三十三所」の第一番礼所になりました。

現在の本堂は、「織田信長」の焼き討ちによって焼失しましたが、「豊臣秀吉」の願いによって、1590年に再建されたものと伝えられています。

この「青岸渡寺」は、桃山時代の建築様式を残す建物で、紀南では重要文化財として指定された一番古い建造物です。

明治時代の廃仏毀釈では、「熊野三山」のうち、「熊野本宮大社」と「熊野速玉大社」の仏堂は全て廃されましたが、「熊野那智大社」の「如意輪堂」は取り壊しを免れ、信者の手で「青岸渡寺」として復興されたそうです。

「青岸渡寺」の「寺号」は、「豊臣秀吉」が建てた高野山にある「青巌寺」に由来すると言われています。

そんな「青岸渡寺」の本堂「如意輪堂」は、742平方メートルで、棟高は「那智の滝」の落ち口の高さと同じ18メートルになっています。

なお、本尊の「如意輪観世音座像」は「秘仏」ですので直接拝観できませんが、その身代りとして安置されている「前立ち」の「如意輪観音座像」は、年に3回開帳されています。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その11:那智大滝

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「那智大滝」は、落差が133m、銚子口の幅13m、滝壺の深さは10mの落差日本一の名瀑で、「一の滝」とも呼ばれる日本三大名滝の一つです。

この「那智大滝」は、銚子口の岩盤の切れ目から三筋に分かれて流れ落ちていることから「三筋の滝」ともよばれ、熊野山塊の奥方から流れ落ちる姿は圧巻で、大晦日にはライトアップもされています。

かつては、諸国から「那智の滝」に詣でる際、写経を経筒に入れてお滝入口の大鳥居をくぐって左側の「那智経塚」に写経を納めたと言われています。

なお、「那智大滝」では、今でも毎年7月9日と12月27日に、神社(飛瀧神社)の御神体として、古来からの神事である「御滝注連縄張替行事」が行われています。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その12:那智原始林

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「那智原始林」は、和歌山県那智勝浦町の那智山中にあり、那智の滝の東側一体の約33.5ヘクタールの原始林で、国の天然記念物にも指定されています。

この「那智原始林」には、二の滝、三の滝と呼ばれる滝があり、通常は立入禁止で、2月から5月に一部立入が許可されます。

もし、「那智原始林」を見学したい場合には、旅行会社や熊野・那智ガイドの会、那智勝浦町観光協会などのツアーなどを確認してみましょう。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その13:補陀洛山寺

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「補陀洛山寺」は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院で、「補陀洛山寺」の「補陀洛」は、サンスクリット語で「観音浄土」を表す「ポータラカ」のことです。

この「補陀洛山寺」は、「浜宮王子」の「神宮寺」で、本願所となった経緯や時期は明らかではありませんが、「仁徳天皇」の頃、熊野の海岸に漂着したインドの「裸形上人」が開山したと言われています。

その後、平安時代から江戸時代の約千年にわたり、主に「補陀洛山寺」の住職が生きたまま「観音浄土」のために船形の棺に現身を納め、那智の浜から大海原に出発する宗教儀礼「補陀落渡海」の出発の地である寺院として知られています

キーワードチェック:観音浄土
観音浄土は、南方の遥か彼方の果ての海上に存在すると信じられ、「観音菩薩」が降り立つ伝説上の山である「補陀洛山」を目指したと言われています。

この「補陀洛山寺」は、江戸時代までは「那智七本願」の一角として大伽藍を有して栄えていましたが、1808年に起きた台風で堂塔が全て滅失しました。

しばらくの間、「補陀洛山寺」は、再建されることもなく仮本堂のままでしたが、1990年に本堂がようやく再建され、室町様式の高床式四方流宝形型によって完成されました

境内はこじんまりとしていて、観光客もさほど多くありませんが、熊野信仰に大きく関わるお寺で、「熊野那智大社」の「造営・修造」のためも布教活動を行った寺院です。

なお、「補陀洛山寺」の御本尊である木造「三貌十一面千手千眼観世音菩薩」は、平安時代の作で、重要文化財に指定された秘仏「三貌十一面千手千眼観世音菩薩」は、毎年3回、1月27日、5月19日、7月10日に開扉されます。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その14:丹生都比売神社

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「丹生都比売神社」は、和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある神社で、「天野大社」「天野四所明神」とも呼ばれています。

この「丹生都比売神社」は、弘法大師「空海」に「高野山」を授け、すべての災厄を祓う神「丹生都比売神」が祀られ、全国約180社ある神社の総本社です。

「高野山」を参詣する表参道「町石道」の中間にある二つ鳥居が、神社境内の入口で、「丹生都比売神」を参拝してから「高野山」に登ることが慣習となっていました。

鎌倉時代に、行勝上人によって「気比神宮」から「大食都比売大神」が、「厳島神社」から「市杵島比売大神」が勧請され、「北条政子」によって社殿が寄進されて「本殿」が四殿になりました。

「丹生都比売神社」では、この頃から舞楽法会が盛んで、明治初期まで続きました。

「楼門」とともに重要文化財に指定されている「本殿」は、室町時代に復興されたもので、壮麗な朱塗りの一間社春日造は、日本一の規模を誇っています

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その15:金剛峰寺

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「金剛峯寺」は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院で、正式名称は「高野山真言宗 総本山金剛峯寺」です。

開基は「空海」で、創建は816年で、明治期以降は「金剛峯寺」という寺号が一つの寺院の名称になっていますが、本来は真言宗の総本山として高野山全体と同義でした。

そんな「金剛峯寺」の見どころは、全部で9あります。

正門

「金剛峯寺」の正門は、1593年に再建され、「金剛峯寺」の建物の中では一番古いものです。

「正門」の右手には一般の僧侶が使用する小さな入り口は、昔は、「正門」は天皇・皇族、高野山の重職のみ出入りが許され、門の出入り一つにも厳しいルール
がありました。

天水桶

「金剛峯寺」の「天水桶」は、檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺(ひわだぶき)の屋根に置かれた桶です。

この「雨水桶」は、火災のときに火の粉が飛んで屋根が燃えないよう、桶の水をまいて湿らして少しでも類焼を食い止めるため、普段から雨水を溜める時に使用されていました。

経蔵

「金剛峯寺」の「経蔵」は、門をくぐった左手にあり、1679年に釈迦三尊と併せて大阪天満の「伊川屋」から寄進されました

この「経蔵」は、重要なものを収蔵するため、火災で燃えないよう、「主殿」(しゅでん)とは別に設置されるものです。

大玄関と小玄関

「金剛峯寺」の「大玄関」は、先の正門と同じく天皇・皇族や高野山重職だけが出入りしていた入口です。

「大玄関」を通り過ぎると「小玄関」があり、高野山の「上綱職」(じょうこうしょく)の人が使用します。

なお、一般の僧侶は、昔は裏口を利用し、現在は「一般参詣入口」を利用しています。

大広間と持仏間

「金剛峯寺」の「大広間」は、重要な儀式・法要が執り行われる部屋で、ふすまには、1476年~1559年に「狩野法眼元信」(かのうほうげんもとのぶ)によって描かれた群鶴(ぐんかく)や松の絵ががあります

その正面奥にある「持仏間」は、家庭の仏間と同じで、本尊に大師を奉安し、両側に歴代天皇御尊儀の位牌や歴代座主の位牌がまつられています。

なお、この「大広間」は、2月の常楽会(じょうらくえ)や、4月の仏生会(花祭り)等が行われています。

梅の間

「金剛峯寺」の「梅の間」は、1602年~1674年に「狩野探幽斎守信」(かのうたんゆうさいもりのぶ)によって描かれた梅月流水(ばいげつりゅうすい)がふすまに描かれ、この図柄から「梅の間」と呼ばれています。

柳の間

「金剛峯寺」の「柳の間」は、「山本探斉」(やまもとたんさい)によって描かれた「柳鷺図」(りゅうろず)から、このように呼ばれています。

また、この「柳の間」は、1595年に豊臣家の二代目関白「豊臣秀次」がこの間で自害したことから、「秀次自刃(じじん)の間」とも呼ばれています。

別殿

「金剛峯寺」の「別殿」は、1934年に弘法大師御入定(ごにゅうじょう)の「1100年・御遠忌大法会」の際に建てられました。

この「別殿」は、桃山様式の建築で、1983年までは一般信徒が休憩する場所として使用されていました。

「別殿」の襖絵は、「守屋多々志」画伯によって、西側は「花の間」と連続して四季の花鳥が、東側は「弘法大師」の入唐から高野山草創までの風景が描かれています

この「別殿」の「大広間」は、以前までは宗団・本山の主要会議の際に使われた南北に長い建物で、西側は庭に面した方形の平面で、西・東両側に各四つの部屋が並んでいます。

新別殿

「金剛峯寺」の「新別殿」は、「弘法大師御入定・1150年御遠忌大法会」の大勢の参詣者への接待所として、1984年に新設されました

この「新別殿」は、本山の荘厳さに合わせて91畳と78畳の二間から構成される入母屋を鉄筋コンクリートで建造したもので、仕切りを外すと169畳の大広間になります。

普段は、参拝者の休憩所としてお茶の接待や僧侶の法話が行われています。

蟠龍庭

「金剛峯寺」の「蟠龍庭」は、「新別殿」と同様、「弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会」の際に造園され、2,340平方メートルの石庭は国内でも最大級です。

この「蟠龍庭」は、雲海の中で正面から左に雄の龍、右に雌の龍が向かい合って奥殿を守っているように設計されています。

龍を表す石には、大師さまのご誕生の地である四国の花崗岩が、雲海を表現している白川砂には京都の砂が使用されています。

奥殿

「金剛峯寺」の「奥殿」は、1934年の「弘法大師御入定・1100年御遠忌大法会」の際に本山の貴賓室として建造されました

もともとは、「木食応其上人」(もくじきおうごしょうにん)の「興山寺」(こうざんじ)の跡地で、高野山大学、中学があったところです。

この「奥殿」の襖絵は、「石崎光瑤」(いしざきこうよう)画伯が「雪山花信」の題にてヒマラヤとヒマラヤシャクナゲの風景を描いたものですが、画伯が途上で亡くなったため、奥殿裏の襖絵は描かれず、一部の襖絵は未完成のままになっています。

新書院と真松庵

「金剛峯寺」の「新書院と真松庵」は、「蟠龍庭」の一隅にある茶室のことで、1965年の「高野山開創1150年記念法会」の際に「松下幸之助」氏から寄贈され、元総理「佐藤栄作」氏により「真松庵」と名付けられました

この「新書院と真松庵」は、本格的な茶室造りで、部屋数は8畳、6畳、4畳半の三間と水屋によって構成されています。

なお、「新書院と真松庵」は、1971年には「黒潮国体」で昭和天皇皇后両陛下が、2003年に地方事情のご視察のため、当時の「紀宮清子内親王殿下」が宿泊されました。

キーワードチェック:黒潮国体
「黒潮国体」とは、1971年に和歌山県和歌山市の「紀三井寺運動公園陸上競技場」を主な会場として開催された第26回国民体育大会のことです。

阿字観道場

「金剛峯寺」の「阿字観道場」は、1967年に第401世座主である「中井龍瑞」(なかいりゅうずい)大僧正の発願と多大な寄進によって建立されました。

「阿字観道場」の「阿字観」は、真言密教の瞑想法のことで、仏との一体をはかるものです
現在、「金剛峯寺」「阿字観道場」では、「阿字観教室」という講座が開講され、大勢の人達が実修を行っています。

書院上段の間

「金剛峯寺」の「書院上段の間」は、かつては天皇・上皇が登山された際に応接間として使用された部屋で、現在は、「高野山」の重要な儀式に使われています。

この「上段の間」は、さらに「上々段の間」と「装束の間」があり、壁は総金箔押しで、天井は「折上式格天井」(おりあげしきごうてんじょう)の書院造りです。

上段の右側には、「武者隠し」という小さな房の着いた襖があり、そのの奥には一室の部屋があります。

中庭

「金剛峯寺」の「中庭」は、「上段の間」の前にあり、江戸期に創作されたものと言われています

当時は、「中庭」の池の周りには、「高野六木」(こうやろくぼく)と言われる杉・檜・松・槇(まき)・栂・樅が立っていたそうです。

春の中旬頃から、赤や白色の「石楠花」(しゃくなげ)が咲き、梅雨近くには池の周囲に天然記念物「モリアオガエル」の卵が産み付けられます。

秋には、紅葉の葉が鮮やかに映え、冬は一面を銀世界へと変え、自然の四季折々の風景が心を癒やす空間となっています。

奥書院

「金剛峯寺」の「奥書院」は、かつては「上段の間」とともに高野山最高の部屋で、皇族の休憩所として使用され、現在は儀式に使われている部屋です。

この「奥書院」の座敷内には、防寒用の囲炉裏があり、冬は薪をたいて暖をとりました。

襖絵は、「雪舟」として名高い「雲谷等益」(うんこくとうえき)と、その息子である「雲谷等爾」(うんこくとうじ)によって描かれたものと言われています。

稚児の間

「金剛峯寺」の「稚児の間」は、「上段の間」と連結する「武者隠し」の間で、天皇に随行した人が不寝番をする部屋として使用されていました。

その後は、旧伯爵「副島家」から伝承された地蔵菩薩を奉安しており、襖の絵は「狩野探斎」の筆と言われています。

土室

「金剛峯寺」の「土室」は、冬場の厳しい寒さのなかで保温効果を高めて風寒を凌ぐための囲炉裏の間です

「土室」とは、「土を塗り固めて作った部屋」という意味で、土壁で囲んだ部屋の中に囲炉裏を設けて暖をとっていました。

「土質」の囲炉裏は、4本の柱と壁が天井まで立ち、煙が天井から屋根の外に抜けるように設計されています。

火袋には、弁財天さまを祀る小棚が設けられていますが、その由来については伝わっていません。

台所

「金剛峯寺」の「台所」は、江戸期以降、大勢の僧侶に食事が賄われてきた場所で、昭和50年代まで年末の餅つきで使われていました

この「台所」は、柱や梁も煤で真っ黒で、水飲み場は高野槇の水槽に湧き水を溜め、現在も大きな「かまど」は使われています。

炭をおこす場所は、防火対策として大きな煙突が配置され、このほか、食物を保存するための 天井からつり下ろされた台があります。

天井からつるして風通しをよくして長持させ、紙を垂らしてネズミの侵入を防いでいたようです。

また、「台所」には、一つで約七斗(98キログラム)のご飯を炊ける大釜を三基置き、一度に二石(約2,000人分)のご飯を炊いていました。

この「台所」の二石釜の真上には行灯が釣られて、正面には台所の神様である三宝荒神が祀られています

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その16:慈尊院

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「慈尊院」は、和歌山県伊都郡九度山町にある高野山真言宗の寺院です。

この「慈尊院」は、816年に弘法大使である「空海」が嵯峨天皇より高野山の地を賜った際に、表玄関として伽藍が創建され、庶務を司る政所が置かれて宿所および冬期避寒修業の場として使用されました。

境内の周囲三方向を囲っている約250メートルある土塀・築地塀は、県の指定文化財に指定され、和歌山県で最も古い壁と言われています。

本尊の木造「弥勒仏坐像」は国宝で、本堂の弥勒堂、絹本著色弥勒菩薩像は重要文化財、境内は国の史跡「高野山町石」の一部です。

この「慈尊院」は、女人禁制が続いた高野山に代わり、女性の参拝が許可されていたことから「女人高野」とも呼ばれ、女性の高野山参りの最終地として、子宝・安産・育児・授乳など、女性にまつわる御利益があると伝えられています

また、婦人科系の病気の治癒を祈願する場所としても知られており、地元の乳がんの専門院である「紀和ブレストセンター」との共同制作による乳がんのお守りも販売されています。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その17:丹生官省符神社

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「丹生官省符神社」は、和歌山県伊都郡九度山町にある神社で、「慈尊院」とともに、816年に「空海」によって「丹生高野明神社」として創建されたと言われています

その後、「丹生七社大明神」「丹生神社」「丹生官省符神社」と社名が変更されました。

この「丹生官省符神社」は、地元にゆかりのある「丹生都比売」「高野御子」の二神が祀られ、社殿三棟は木造一間社春日造、桧皮葺、極彩色北面で重要文化財に指定され、境内は国の史跡「高野山町石」の一部です

当時、「丹生官省符神社」が創建された場所は、現在の渡し場より東の「宮の橋」付近であったそうで、その後、河北から高野領地となって「官省符21ヶ所村」が成立した際に総氏神として栄えたと言われています。

さらに、「慈尊院」が現在所在地に移された際、この「丹生官省符神社」も「神楽尾山」に移され、気比、厳島二神を合わせた四神と、この地に古くから鎮座していた天照、八幡、春日の三神を合わせて七社明神とされました。

そんな「丹生官省符神社」の見どころは、主に2つです。

石造鳥居

「丹生官省符神社」の「石造鳥居」は、「慈尊院」から続く石段を登ると見えてきます。

この「石造鳥居」は、1910年に町内の九度山、入郷、慈尊院の三地区の氏神社と無格社が「丹生官省符神社」と合祀されたのに伴って、1921年に移さたものです。

179町石

「丹生官省符神社」の「179町石」は、神社を出て少し坂を下ったところにあり、1269年に鎌倉幕府の第6代執権「北条長時」の弟である「北条時茂」によって建立されました。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その18:大峰奥駈道

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「大峰奥駈道」は、吉野と熊野を結んでいる「大峯山」を縦走している1300年の伝統を持つ修験道の修業の道で、国の史跡にも指定されています

この「大峰奥駈道」には、神仏の「大峯七十五靡」(なびき)が宿るとされた拝所・行場が遺跡として残っており、祠(ほこら)や仏像などは保存・管理状態も良好です。

ちなみに、75の靡のうち、1番目は「熊野本宮大社」の本宮証誠殿にはじまり、最後の75番目は、吉野川の「柳の宿」です。

また、「大峯奥駈道」の聖地である「玉置神社」のある「玉置山」は、10番目の靡(なびき)で、修験者の行場「宿」の中で重要な位置を占める深仙宿は、38番、怒田宿は20番、平治宿は21番、持経宿は22番として遺跡が残されています。

この深仙宿には、霊験水である「香精水」が湧き、万病に効くと伝えられています。

さらに、「大峯奥駈道」のシンボルである「釈迦如来像」が頂上にある「釈迦ヶ岳」は、40番目の靡とされています。

なお、これらの靡(行場)をめぐる方法は、2つあり、1つ目は熊野から入り吉野へ向かう「順峯(じゅんぷ)」で、2つ目は吉野から入り熊野に向かう方法「逆峯」(ぎゃくふ)です。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その19:熊野参詣道中辺路

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「熊野参詣道中辺路」は、参詣道「熊野古道」の一つで田辺で「中辺路」ルートと「大辺路」ルートに分かれ、山間部の「熊野本宮大社」「熊野那智大社」を通り、「熊野速玉大社」までの約21里(86キロメートル)のことです。

「熊野参詣道」は、平安時代から鎌倉時代にかけて、上皇や貴族を中心に市内下三栖の三栖山王子社から上富田町岡の八上王子社に至る岡越えの道が通っていまし た。

ところが、この道は遠回りになるため、南北朝時代の14世紀頃から、一般庶民は、長尾坂から潮見峠を越えて滝尻王子へ進む「熊野参詣道中辺路」を通るようにりました。

地図をみると、「潮見峠越え」は、長尾坂を通って滝尻王子から祓戸王子を通り、熊野本宮大社をまっすぐ目指していることが確認できます。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その20:熊野参詣道小辺路

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「熊野参詣小辺路」(こへち)は、熊野三山への参詣道「熊野古道」のひとつで、「高野山」から「熊野本宮大社」までの最短距離である約70キロメートルを結び、紀伊山地を南北に縦走しています。

このため、「熊野参詣道小片路」は、「大峯奥駈道」を除くと最も厳しいルートになっています。

近世以前は、この「熊野参詣道小辺路」は、紀伊山地の山中に住んでいる人々の生活道路で、山中に自動車が通行できる道路が20世紀に開通してからも、昭和30年頃まで使用されていました。

このような生活道路である「熊野参詣道小片路」が、熊野と高野山を結ぶ参詣道として利用されたのは近世以後で、「小辺路」という名も近世初期になってから使用されるようになりました。

この「熊野参詣道小片路」は、「高野山」を出発して奈良県に入り、十津川村を通って果無峠を越え、和歌山県に入って下山口に着くと熊野川沿いに国道168号線をたどって中辺路に合流し、「熊野本宮大社」に至ります。

全ルートを踏破するには、1000メートル級の峠を3つを越えることになり、一度山道に入ってしまうと、しばらく集落がないために本格的な登山の準備が必要で、冬季は積雪のため、不用意に入るのは危険であると言われています。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その21:熊野参詣道大辺路

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「熊野参詣道大辺路」は、「熊野古道」の一つで、田辺から那智勝浦を結ぶ海辺の道で、他の「熊野古道」と同様に厳しい峠道のあるルートです。

具体的には、田辺市街地から富田川下流部沿いに続き、富田坂を超えて日置川河畔に辿り着き、仏坂を越えて和深川を渡り、長井坂を越えると見老津に出て、断片的な残存箇所が続いてから浦神峠を越えて「熊野三所大神社」に着き、振り分け石と呼ばれる「石柱」までのことです。

この「熊野参詣道大辺路」の北端が田辺市にある道標で、「左くまの道」と大書きされている一方で「すく八大へち」と小さく書かれていることから、当時は、「熊野参詣道中辺路」がメインルートとして使用されていたようです。

特に、「熊野参詣道大辺路」は「四十八坂」と称されているほど急坂や小坂の多い難路で、分断区分も多いことから、里道・海路・河畔など、代替ルートや派生ルートを用いることが多かったものと考えられています。

とはいえ、紀伊山地の南端に連なる山々を世に、変化に富む海などの景観を眺めることができるため、近世の文人墨客の中には、この「熊野参詣道大辺路」を利用した人もいたようです

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その22:熊野参詣道伊勢路

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「熊野参詣道伊勢路」は、熊野参詣道の一つで、伊勢国「伊勢神宮」から「熊野三山」に通じる参詣道で、「伊勢神宮」から「熊野速玉大社」までの総距離は約170キロメートルあります。

この「熊野参詣道伊勢路」は、「東海道中膝栗毛」にも登場し、「伊勢へ七度、熊野へ三度」などと呼ばれる信仰の道です。

「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴・おすすめスポット その23:高野参詣道

「紀伊山地の霊場と参詣道」の「高野参詣道」は、「高野山」を参詣するための参詣道のことで、7つの主な参詣道「高野七口」と、この「高野七口」につながる「その他参詣道」のことです。

「高野参詣道」の「高野七口」は、参詣者の出発地点から聖地である「高野山」への入口とを結ぶ道で、具体的には下記の7つです。

1)大門口(町石道)
2)黒河口(黒河道)
3)不動坂口(京大坂道)
4)大滝口(小片路/熊野古道)
5)大峰口(大峰道)
6)龍神口(有田・龍神道)
7)相ノ浦口(相ノ浦道)

また、上記以外の参詣道は、主に下記の4つです。

1)三谷坂(丹生酒殿神社~町石町)
2)麻生津道(西国街道)(和歌山城~町石道)
3)女人道(高野七口女人堂)
4)槇尾道(槇尾寺、現:施福寺~京大坂道不動坂)

観光課や公式サイトからの情報まとめ (動画など)

和歌山県情報館
https://www.pref.wakayama.lg.jp/bcms/sekaiisan/index.html

和歌山県世界遺産センター
http://www.sekaiisan-wakayama.jp/

白浜観光協会
http://www.nanki-shirahama.com/kumano/

アクセス方法

「紀伊山地の霊場と参詣道」へのアクセスは、下記の通りです。

1)吉野山(よしのやま)
住所:奈良県吉野郡吉野町
電車でのアクセス:
A.東京・名古屋・京都方面から
a.東京(新幹線)ー名古屋(新幹線)ー京都(近鉄特急)ー橿原神宮前(近鉄特急)-吉野
b.近鉄名古屋(近鉄特急)ー大和八木(近鉄特急)ー橿原神宮前(近鉄特急)ー吉野
B.神戸・大阪方面から
三宮(JR快速)ー大阪(JR快速)ー天王寺(徒歩)ー大阪阿部野橋(近鉄特急)ー吉野
C.九州方面から
博多(新幹線)ー新大阪(JR)ー大阪(JR快速)ー大阪阿部野橋(近鉄特急)ー吉野
飛行機でのアクセス:
A.伊丹空港(リムジンバス)ー天王寺(徒歩)ー大阪阿部野橋(近鉄特急)ー吉野
B.関西空港(リムジンバス)ー大和八木(近鉄特急)ー橿原神宮前(近鉄特急)ー吉野
車でのアクセス:
A.大阪方面から
a.大阪市内(阪神高速14号松原線)ー松原JCT(阪和道)ー美原JCT(南阪奈道路)ー葛城IC(大和高田場水パス)ー小房(国道169号)ー吉野
b.大阪市内(阪神高速14号松原線)ー松原JCT(西名阪自動車道)ー柏原IC(国道165号)ー橿原(国道169号)ー吉野
B.京都方面から
京都市内(国道24号)ー城陽IC(京名和自動車道)ー木津IC(奈良バイパス)ー郡山(橿原バイパス)ー橿原(国道169号)ー吉野
C.名古屋方面から
NAGOYAしない(名古屋高速5号万場線)ー名古屋西JCT(東名阪自動車道)ー亀山IC(名阪国道)ー針IC(国道369~370号)ー吉野

2)吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)
住所:奈良県吉野郡吉野町大字吉野山1612
電車でのアクセス:
A.東京・名古屋・京都方面から
a.東京(新幹線)ー名古屋(新幹線)ー京都(近鉄特急)ー橿原神宮前(近鉄特急)-吉野
b.近鉄名古屋(近鉄特急)ー大和八木(近鉄特急)ー橿原神宮前(近鉄特急)ー吉野
B.神戸・大阪方面から
三宮(JR快速)ー大阪(JR快速)ー天王寺(徒歩)ー大阪阿部野橋(近鉄特急)ー吉野
C.九州方面から
博多(新幹線)ー新大阪(JR)ー大阪(JR快速)ー大阪阿部野橋(近鉄特急)ー吉野
飛行機でのアクセス:
A.伊丹空港(リムジンバス)ー天王寺(徒歩)ー大阪阿部野橋(近鉄特急)ー吉野
B.関西空港(リムジンバス)ー大和八木(近鉄特急)ー橿原神宮前(近鉄特急)ー吉野
車でのアクセス:
A.大阪方面から
a.大阪市内(阪神高速14号松原線)ー松原JCT(阪和道)ー美原JCT(南阪奈道路)ー葛城IC(大和高田場水パス)ー小房(国道169号)ー吉野
b.大阪市内(阪神高速14号松原線)ー松原JCT(西名阪自動車道)ー柏原IC(国道165号)ー橿原(国道169号)ー吉野
B.京都方面から
京都市内(国道24号)ー城陽IC(京名和自動車道)ー木津IC(奈良バイパス)ー郡山(橿原バイパス)ー橿原(国道169号)ー吉野
C.名古屋方面から
NAGOYAしない(名古屋高速5号万場線)ー名古屋西JCT(東名阪自動車道)ー亀山IC(名阪国道)ー針IC(国道369~370号)ー吉野

3)金峯神社(きんぷじんじゃ)
住所:奈良県吉野郡吉野町大字吉野山1651
A.東京・名古屋・京都方面から
a.東京(新幹線)ー名古屋(新幹線)ー京都(近鉄特急)ー橿原神宮前(近鉄特急)-吉野
b.近鉄名古屋(近鉄特急)ー大和八木(近鉄特急)ー橿原神宮前(近鉄特急)ー吉野
B.神戸・大阪方面から
三宮(JR快速)ー大阪(JR快速)ー天王寺(徒歩)ー大阪阿部野橋(近鉄特急)ー吉野
C.九州方面から
博多(新幹線)ー新大阪(JR)ー大阪(JR快速)ー大阪阿部野橋(近鉄特急)ー吉野
飛行機でのアクセス:
A.伊丹空港(リムジンバス)ー天王寺(徒歩)ー大阪阿部野橋(近鉄特急)ー吉野
B.関西空港(リムジンバス)ー大和八木(近鉄特急)ー橿原神宮前(近鉄特急)ー吉野
車でのアクセス:
A.大阪方面から
a.大阪市内(阪神高速14号松原線)ー松原JCT(阪和道)ー美原JCT(南阪奈道路)ー葛城IC(大和高田場水パス)ー小房(国道169号)ー吉野
b.大阪市内(阪神高速14号松原線)ー松原JCT(西名阪自動車道)ー柏原IC(国道165号)ー橿原(国道169号)ー吉野
B.京都方面から
京都市内(国道24号)ー城陽IC(京名和自動車道)ー木津IC(奈良バイパス)ー郡山(橿原バイパス)ー橿原(国道169号)ー吉野
C.名古屋方面から
NAGOYAしない(名古屋高速5号万場線)ー名古屋西JCT(東名阪自動車道)ー亀山IC(名阪国道)ー針IC(国道369~370号)ー吉野

4)金峯山寺(きんぷせんじ)
住所:奈良県吉野郡吉野町大字吉野山2498
電車でのアクセス:
A.大阪方面から
近鉄電車に乗って阿倍野橋から吉野線
・近鉄あべの橋から(特急約1時間15分)
・JR天王寺駅 王寺・吉野口駅のりかえ(約1時間50分)
B.京都方面から
京都からは近鉄電車に乗り,橿原神宮で乗り換えて吉野まで.
・近鉄京都駅から 橿原神宮前駅のりかえ(特急約1時間45分)
C.奈良方面から
・近鉄奈良駅から 西大寺・橿原神宮前駅のりかえ(約1時間25分)
D.名古屋方面から
・近鉄名古屋駅から 八木・橿原神宮前駅のりかえ(特急約2時間55分)
E.高野山・和歌山方面から
・高野山から JR橋本・吉野口駅のりかえ(約1時間50分)
・JR和歌山駅から 吉野口駅のりかえ(約2時間20分)
車でのアクセス:
A.松原JCTー西名阪ー郡山ICーR24橿原経由R169ー吉野大橋ー吉野山
B.松原JCTー西名阪・柏原ICーR165ー大和高田バイパスー御所香芝線(山麓線・県道30号)ー名阪交差点を左折・R309ー吉野口駅付近バイパスー車坂峠交差点を直進ー絵垣本交差点を右折・R169ー土田交差点を左折ー吉野大橋ー吉野山
C.富田峠ーR309・水越トンネル(水越峠)ー名柄交差点を直進・R309ー吉野口駅付近バイパスー車坂峠交差点を直進ー絵垣本交差点を右折・R169ー土田交差点を左折ー吉野大橋ー吉野山
D.名古屋方面より
東名阪ー名阪国道ーICーR370ー三茶交差点を右折ー河原屋西を右折ーR169ー吉野大橋ー吉野山

5)吉水神社(よしみずじんじゃ)
住所:奈良県吉野郡吉野町大字吉野山579
A.東京・名古屋・京都方面から
a.東京(新幹線)ー名古屋(新幹線)ー京都(近鉄特急)ー橿原神宮前(近鉄特急)-吉野
b.近鉄名古屋(近鉄特急)ー大和八木(近鉄特急)ー橿原神宮前(近鉄特急)ー吉野
B.神戸・大阪方面から
三宮(JR快速)ー大阪(JR快速)ー天王寺(徒歩)ー大阪阿部野橋(近鉄特急)ー吉野
C.九州方面から
博多(新幹線)ー新大阪(JR)ー大阪(JR快速)ー大阪阿部野橋(近鉄特急)ー吉野
飛行機でのアクセス:
A.伊丹空港(リムジンバス)ー天王寺(徒歩)ー大阪阿部野橋(近鉄特急)ー吉野
B.関西空港(リムジンバス)ー大和八木(近鉄特急)ー橿原神宮前(近鉄特急)ー吉野
車でのアクセス:
A.大阪方面から
a.大阪市内(阪神高速14号松原線)ー松原JCT(阪和道)ー美原JCT(南阪奈道路)ー葛城IC(大和高田場水パス)ー小房(国道169号)ー吉野
b.大阪市内(阪神高速14号松原線)ー松原JCT(西名阪自動車道)ー柏原IC(国道165号)ー橿原(国道169号)ー吉野
B.京都方面から
京都市内(国道24号)ー城陽IC(京名和自動車道)ー木津IC(奈良バイパス)ー郡山(橿原バイパス)ー橿原(国道169号)ー吉野
C.名古屋方面から
NAGOYA市内(名古屋高速5号万場線)ー名古屋西JCT(東名阪自動車道)ー亀山IC(名阪国道)ー針IC(国道369~370号)ー吉野

6)大峰山寺(おおみねさんじ)
住所:和歌山県伊都郡高野町大字高野山132
電車でのアクセス:
A.奈良(新幹線)ー新大阪駅(電車・ケーブルカー)ー高野山駅(徒歩・タクシー)ー金剛峯寺
B.南海高野線「極楽橋駅」下車、南海高野山ケーブルで高野山駅へ
C.新大阪から
新大阪(地下鉄御堂橋線)ーなんば駅(南海高野線)ー橋本駅ー極楽橋駅(南海高野山ケーブル)ー高野山
飛行機でのアクセス:
A.伊丹空港(大阪国際空港)から
伊丹空港(伊丹空港線)ーなんば駅(南海高野線)ー橋本駅ー極楽橋駅(南海高野山ケーブル)ー高野山
B.関西国際空港から
関西国際空港(南海線特急ラピート)ー天下茶屋駅(南海高野線)ー橋本駅ー極楽橋駅(南海高野山ケーブル)ー高野山

7)熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)
住所:和歌山県田辺市本宮町本宮1110
電車・バスでのアクセス:
A.JR紀勢本線の「紀伊田辺駅」より龍神バス(熊野本宮線)に乗車して「本宮大社前」で下車
B.JR紀勢本線の「紀伊田辺駅」より明光バス(熊野古道線91系統)に乗車して「本宮大社前」で下車
C.JR紀勢本線の「新宮駅」より熊野交通バス(勝浦本宮線71、川丈線51・53)に乗車して「本宮大社前」で下車
D.JR紀勢本線の「新宮駅」から八木新宮特急バス(特急302系統大和八木行き)に乗車して「本宮大社前」で下車
E.近鉄の「大和八木駅」にある「八木駅(南)」バス停留所から八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)に乗車して「本宮大社前」の停留所で下車してすぐ
F.近鉄御所線の「近鉄御所駅」およびJR和歌山線の「御所駅」から八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)に乗車して「本宮大社前」で下車
G.JR和歌山線の「五条駅」から八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)に乗車して「本宮大社前」で下車
車でのアクセス:
A.奈良県方面から
南阪奈道路ー葛城ICー国道24号線(大和高田バイパス)ー新堂ランプ出口ー京奈和自動車道ー五條ICー国道310号線ー国道168号線ー熊野本宮大社(2時間30分)
B.愛知県方面から
名阪国道ー天理ICー西名阪自動車道ー郡山下ッ道JCTー京奈和自動車道ー五條ICー国道310号線ー国道168号線ー熊野本宮大社(約2時間45分)
C.三重県方面から
熊野尾鷲道路ー熊野大泊ICー国道42号線ー国道168号線ー熊野本宮大社(約1時間15分)
D.和歌山方面から
紀勢自動車道ー上富田ICー国道42号線ー国道311号線ー国道168号線ー熊野本宮大社(約1時間10分)

8)熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)
住所:和歌山県新宮市新宮1番地
電車・バスでのアクセス:
A.JR紀勢本線「新宮駅」より徒歩
B.近鉄「大和八木駅」の「八木駅(南)」バス停留所から八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)に乗車して「権現前」で下車
C.近鉄御所線の「近鉄御所駅」およびJR和歌山線の「御所駅」から八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)に乗車して「権現前」で下車
D.JR和歌山線の「五条駅」から八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)に乗車して「権現前」で下車
E..東京方面から
a.品川駅ー新宮駅(電車)
b.新宿ー新宮駅(高速バス)
F.大阪方面から
新大阪駅または大阪駅ー新宮駅
車でのアクセス:
A.奈良県方面から
南阪奈道路ー葛城ICー国道24号線(大和高田バイパス)ー新堂ランプ出口ー京奈和自動車道ー五條ICー国道310号線ー国道42号線ー朱色下馬橋ー熊野速玉大社
B.愛知県方面から
名阪国道ー天理ICー西名阪自動車道ー郡山下ッ道JCTー京奈和自動車道ー五條ICー国道310号線ー国道42号線ー朱色下馬橋ー熊野速玉大社
C.三重県方面から
熊野尾鷲道路ー熊野大泊ICー国道42号線ー速玉大社前
D.和歌山方面から
紀勢自動車道ー上富田ICー国道42号線ー国道311号線ー国道168号線ー国道42号線ー速玉大社前
飛行機でのアクセス:
A.東京方面から
羽田ー南紀白浜空港

9)熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)、
住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山1
鉄道でのアクセス:
A.大阪方面から
京都駅・新大阪駅・大阪天王寺駅ーJRきのくに線新宮行(特急くろしお号)ー紀伊勝浦駅下車-熊野交通バス
B.名古屋方面から
名古屋駅ーJR紀勢本線(特急ワイドビュー南紀号)ー紀伊勝浦駅下車-熊野交通バス
バスでのアクセス:
A.東京方面から
西武観光バス 高速バスまたは三重交通株式会社 高速バス
紀伊勝浦より那智山バス停までバスで約30分
飛行機でのアクセス:
A.羽田空港~南紀白浜空港ー紀伊勝浦(JR)
B.関西国際空港または名古屋空港ー紀伊勝浦(JR)
車でのアクセス:
A.大阪方面から
a.大阪ー国道168号線・国道42号線ー那智勝浦町
b.大阪ー阪和自動車道ー紀勢自動車道ーすさみ南インターー国道42号線ー那智勝浦町
B.名古屋方面から
名古屋ー東名阪道・伊勢道・紀勢自動車道ー熊野尾鷲道路ー熊野大泊インターチェンジー国道42号線ー那智勝浦町

10)青岸渡寺(せいがんとじ)
住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山8
電車・バスでのアクセス:
A.JR紀勢本線「紀伊勝浦駅」より熊野交通路線バス(那智山行き)に乗車、「那智山」で下車
車でのアクセス:
A.和歌山県方面から
紀勢自動車道ーすさみ南ICー国道42号線ー那智勝浦新宮道路ー那智勝浦ICー県道46号線ー県道43号線ー県道46号線
B.三重県方面から
熊野尾鷲道路ー熊野大泊ICー国道42号線ー那智勝浦新宮道路ー那智勝浦ICー県道46号線ー県道43号線ー県道46号線

11)那智大滝(なちのおおたき)
住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山
電車でのアクセス:
A.東京方面から
東京駅(新幹線)ー名古屋駅(特急ワイドビュー南紀)ーJR紀伊勝浦駅
B.大阪方面
天王寺駅(特急くろしお)ーJR紀伊勝浦駅
C.京都方面から
京都駅ーJR新大阪駅(特急くろしお)ーJR紀伊勝浦駅
夜行バスでのアクセス:
大宮・新宿・横浜(夜行バス)ーJR紀伊勝浦駅
飛行機でのアクセス:
A.東京方面から
羽田空港ー南紀白浜空港(明光バス)ー白浜駅(JR線)ーJR紀伊勝浦駅
B.大阪方面から
関西空港(JR線)ー紀伊勝浦駅

12)那智原始林(なちげんしりん)
住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山
電車でのアクセス:
A.東京方面から
東京駅(新幹線)ー名古屋駅(特急ワイドビュー南紀)ーJR紀伊勝浦駅
B.大阪方面
天王寺駅(特急くろしお)ーJR紀伊勝浦駅
C.京都方面から
京都駅ーJR新大阪駅(特急くろしお)ーJR紀伊勝浦駅
夜行バスでのアクセス:
大宮・新宿・横浜(夜行バス)ーJR紀伊勝浦駅
飛行機でのアクセス:
A.東京方面から
羽田空港ー南紀白浜空港(明光バス)ー白浜駅(JR線)ーJR紀伊勝浦駅
B.大阪方面から
関西空港(JR線)ー紀伊勝浦駅

13)補陀洛山寺(ふだらくさんじ)
住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜ノ宮348
電車でのアクセス:
JR紀勢本線「那智駅」から徒歩
車でのアクセス:
A.和歌山県方面から
紀勢自動車道ーすさみ南ICー国道42号線ー那智勝浦新宮道路ー那智勝浦ICー県道46号線ー県道43号線ー補陀洛山寺
B.三重県方面から
熊野尾鷲道路ー熊野大泊ICー国道42号線ー那智勝浦新宮道路ー那智勝浦ICー那智勝浦インターチェンジー県道46号線ー県道43号線ー補陀洛山寺

14)丹生都比売神社(にゅうつひめじんじゃ)
住所:和歌山県伊都郡かつらぎ町大字上天野230
電車・バスでのアクセス:
A.大阪方面から
a.南海なんば(南海高野線)ー橋本(JR和歌山線)ー妙寺または笠田
b.天王寺ー(阪和線)ー和歌山ー(JR和歌山線)ー妙寺または笠田
B.関西空港から
関西空港(リムジンバス)ー和歌山(JR和歌山線)ー妙寺または笠田
C.全国から
a.新大阪(地下鉄御堂筋線)ー南海なんばー(南海高野線)ー橋本ー(JR和歌山線)ー妙寺または笠田
b.新大阪(特急くろしお号)ー和歌山(JR和歌山線)ー妙寺または笠田

15)金剛峰寺(こんごうぶじ)
住所:和歌山県伊都郡高野町大字高野山132
電車・バスでのアクセス:
A.新大阪から
新大阪(地下鉄御堂筋線)ーなんば駅(南海高野線)ー極楽橋駅(南海高野山ケーブル)高野山駅
B.京都から
京都(高速バス)ー高野山
飛行機でのアクセス:
A.大阪国際空港から
大阪国際空港(伊丹空港線)ーなんば駅(東海高野線)ー橋本駅ー極楽橋駅(南海高野山ケーブル)ー高野山
B.関西国際空港から
関西国際空港(南海線特急ラピート)ー天下茶屋駅ー橋本駅ー極楽橋駅(南海高野山ケーブル)ー高野山

16)慈尊院(じそんいん)
住所:埼玉県草加市稲荷4丁目3-23
電車・バスでのアクセス:
A.東京方面から
a.東京(新幹線・電車)ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
b.東京(高速バス)ー大阪駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
c.東京(高速バス)ー境東駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
d.東京(高速バス)ー難波駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
B.大阪方面から
a.大阪(新幹線・電車)ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
b.大阪(高速バス)ー大阪駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
c.大阪(高速バス)ー境東駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
d.大阪(高速バス)ー難波駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
C.愛知方面から
a.愛知(高速バス)ー大阪駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
b.愛知(高速バス)ー境東駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
c.愛知(高速バス)ー難波駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
D.福岡方面から
a.福岡(新幹線・電車)ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
b.福岡(高速バス)ー大阪駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
c.福岡(高速バス)ー難波駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
飛行機でのアクセス:
A.東京方面から
a.羽田空港(飛行機)ー関西空港(バス)ー和歌山駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
b.羽田空港(飛行機)ー伊丹空港(バス)ー和歌山駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
B.福岡方面から
a.福岡空港(飛行機)ー関西空港(バス)ー和歌山駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院
b.福岡空港(飛行機)ー伊丹空港(バス)ー和歌山駅ー九度山駅(徒歩)ー慈尊院

17)丹生官省符神社(にうかんしょうふじんじゃ)
住所:和歌山県伊都郡九度山町大字慈尊院835
電車でのアクセス:
A.関西国際空港より南海本線で「天下茶屋」、南海高野線(高野山方面)に乗り換えて「九度山駅」下車
B.南海高野線「なんば駅」で「九度山駅」下車
C.JR和歌山線「高野口駅」よりタクシー
D.南海高野線・JR和歌山線「橋本駅」よりタクシー
車でのアクセス:
A.京都・大阪方面から
吹田JCTー美原北ICー橋本ー九度山
B.神戸方面から
神戸ー泉南ICー岩出ー九度山
C.名古屋・奈良方面から
名古屋ー郡山ICー橿原ー九度山

18)大峰奥駈道(おおみねおくがけみち)
領域:吉野ー熊野三山
電車・バスでのアクセス:(十津川村役場まで)
A.近鉄大和八木駅から奈良交通バス
B.JR五条駅から奈良交通バス
C.JR新宮駅から奈良交通バス
D.JR紀伊田辺駅から龍神バスで本宮大社、奈良交通バス
車でのアクセス:(十津川村役場まで)
A.五条ーR168
B.新宮ーR168
C.白浜ーR311

19)熊野参詣道中辺路(くまのさんけいみちなかへち)
領域:田辺ー熊野三山
20)熊野参詣道小辺路(くまのさんけいみちこへち)
領域:高野山ー熊野三山
21)熊野参詣道大辺路(くまのさんけいみちおおへち)
領域:田辺ー串本ー熊野三山
21)熊野参詣道伊勢路(くまのさんけいみちいせじ)
領域:伊勢神宮ー熊野三山
22)高野参詣道(こうやさんけいみち)
領域:高野七口・三谷坂・麻生津道・女人道・槇尾道

まとめ

いかがでしたか。

「紀伊山地の霊場と参詣道」は、和歌山県・奈良県・三重県の3県にまたがる3つの霊場と参詣道から構成され、修験道の修業の場や各霊場への結ばれる参詣道です。

また、日本の世界文化遺産としては、1万1865.3ヘクタールの広さを誇り、人の営みと自然との結びつきをうかがい知ることができます。

世界遺産にも登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」をまだ訪れたことがない方は、ぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。

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